新元号の令和が発表された途端、情報が津波のように押し寄せてきました。しかし、津波のように多少の間があったわけではなく、一挙に氾濫しました。江戸時代の改元もそうでしたが、明治初期の改暦でも、その通報が地方のすみずみに到達するのにはかなりの時間がかかっています。
平成のときには「平成おじさん」のポーズとともに、改元のシーンがマスコミを通じて焼き付けられました。今回もそれを踏襲しましたが、その一方、前代未聞のことも多々ありました。まずは退位がはやくから予定されていて、周知の事実となっていたことです。崩御の翌日に改元というような緊急事態ではなかったこと、また服喪のような重苦しい雰囲気ではなかったことも従来とは異なっています。いわば慶事としての改元が天皇の代替わりにおこなわれることになったのです。
歌舞音曲をつつしんだ平成改元のときと比べると、令和改元はお祝い事のように華やかです。銀座のデパートには「祝 令和」の張り紙が入口で客を迎えていました。令和と大書した商品も多数でまわっています。それはティッシュやトイレットペーパーから純金製の大判・小判まで多種多様です。他方、羽田空港の土産物屋には「平成ありがとう」の文字が躍っていました。旅行会社は「平成最後の日」と銘打って伊勢神宮に泊まる旅を企画したり、令和最初の日に出雲大社に参拝する旅を売り出したりしています。商品に「平成」や「令和」を印字することも日常茶飯事です。
こうした現象は汽水にたとえることができるでしょう。汽水とは「海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水。内湾・河口部などの海水」(広辞苑)です。「平成 の時間が水面(みなも)には流れているのですが、底流には「令和」の海水がひたひたと逆流しているのです。その結果、両者は入り交じって混在しているのが現状ではないでしょうか。このような汽水状態の元号というのも過去にあまり例はありません。
カレンダー業界でも「令和」の暦をつくりました。江戸時代まで、「元年の暦」というのは無いもののたとえでした。改元は年の途中で突然おこるので、暦の発行が間に合わなかったのです。平成のときですら、希有の例外を除き、新元号入りのカレンダーを作成することは、喪中のような事態でもあり、いささかはばかられました。しかし、今回は8カ月しか残していないにもかかわらず、新元号入りのカレンダーが急きょつくられました。新日本カレンダーは特別企画セットを販売しています。他方、「天皇陛下御即位奉祝」と銘打ち、永久保存版の卓上カレンダーを少量発行したところもあります。また、定番の「皇室カレンダー も令和元年版が作成されました。といっても、1月から4月の月表をはずし、新元号「令和」を入れるというミニマムな対応でした。
全国カレンダー出版協同組合連合会(略称:JCAL)主催による「奉祝 平成最後のカレンダー展/皇室カレンダーで振り返る~平成~」も銀座で一週間にわたって開催されました。平成のカレンダーが平成の時代に起きた事柄と関連づけてならべられ、あわせて平成の「皇室カレンダー」も展示されました。そのことでカレンダーが文字どおり「時代の証人 であることを強く印象づけたこととおもいます。
4月1日の新元号発表から30日の天皇退位までの1カ月は、改元をひかえた前例のない過渡期です。しかも、30日間という長くもあり短くもある期間をはさむことで、業界によって事情は異なるにしろ古い時代から新しい時代へとスムースな移行を可能にする時間的余裕がある程度ありました。前代未聞ではありましたが、空前絶後というわけではありません。今回の経験が将来、活かされるときがくるはずです。それを見越して、平成から令和への日本史上初の10連休を心して過ごしたいものです。