こよみの学校

第145回 年号のある紀年銘民具

年号のある民具「紀年銘民具」

民具とは「日常生活の必要から製作・使用してきた伝承的な器具、造形物の総称」(日本民俗大辞典)です。それは衣食住や生業の用具だけでなく、こけしなどの玩具や熊手などの縁起物も含みます。しかし、民具にはふつう製作年や所有年はついていません。ところが、半職人や専門職人が民具をつくるようになり、それが市場(しじょう)に流通するようになると、職人たちの名前とともに製作年も記されるようになりました。年号のある民具です。それを民具学では「紀年銘民具」とよんでいます。

 

現存する民具たち

農具は民具に含まれますが、農民が農具をすべて自前でつくっているわけではありません。ある時点から「流通農具」に頼るようになります。千歯扱(せんばこ)きや唐箕(とうみ)はその典型です。そこには製作年や製作者名が表記されていて、特定の時代の産物であることが如実にわかります。そのため紀年銘のある農具は民具学の研究には大いに役立つのです。

吹田は江戸時代、農業の先進地域でした。「流通農具」はひろくいきわたり、吹田市立博物館(吹博)にも紀年銘の入ったさまざまな農具が所蔵されています。なかでも貴重なのは天保13年(1842年)の万石?(まんごくとおし)です。この農具は玄米と籾(もみ)を選別するためのものですが、吹田に隣接する茨木でつくられたため、「茨木とおし」とよばれるタイプでした。墨書を見ると「茨木材木町戸 大工 大和屋利兵衞」とあり、「天保十三壬寅年九月中旬 由上武右衛門」の所有になったことがわかります。「茨木とおし」で現存するものとしては最古の資料です。

各地で見られる民具

紀年銘民具は全国に分布しています。神奈川大学に所属する日本常民文化研究所では1970年代末から調査に乗り出し、全国の館藏品を中心に目録を作成し、その分布や時代的変遷を明らかにしました。千歯扱きや唐箕に関しては西日本と東日本を問わない網羅的な情報が集積され、地域性のある輪島漆器や沖縄の厨子甕(ずしがめ)などについても研究が進展しました。また、農具商と称される農具を販売する商人についても大阪を中心に調査が進みました。とくに農人橋に店舗を構えていた京屋(八郎兵衛、清兵衛,治兵衛など何軒もの屋号がある)については、大正年間まで存続していたことが実証されるとともに、大阪の周辺地域では手工により唐箕や水車などの農具がそれ以降も製作されていたことが判明しました。

吹田市立博物館も京屋の唐箕を所蔵しています。もっとも古いものは天保7年(1836年)に製されたもので、「大坂農人橋弐丁目 細工 京屋治兵衛」と墨書に見えます。ちなみに京屋治兵衛は農人橋2丁目に大正6年(1917年)まで存在していたことが、紀年銘からわかっています。

ところで、民具という概念は1920年代後半に渋沢敬三によって提唱されました。それは「我々の同胞が日常生活の必要から技術的に作りだした身辺卑近の道具」と定義され、渋沢の自宅を提供したアチック・ミューゼアムを拠点に宮本常一(つねいち)をはじめとする研究者たちによって推進されました。アチック・ミューゼアムの膨大な民具コレクションは戦後、紆余曲折を経て、国立民族学博物館(民博)の開設とともに同館に収蔵されることになりました。他方、アチック・ミューゼアムは名称を変えながら、現在の神奈川大学日本常民文化研究所につながっています。

 

必見!吹田市立博物館にて展示中

わたしは民博で35年間を過ごしたあと、吹博でも7年勤務しています。収集や展示を通じて民具との付合いは長いのですが、年号と民具をむすびつけて考えることはありませんでした。このたび改元を機に吹博ではミニ展示「『大宝』の発見―年号に問う吹田の歴史」(2019年4月4日から17日)を開催することになり、墨書土器や紀年銘民具が脚光を浴びることとなりました。ご来館をお待ちしております。

■吹田市立博物館 https://www2.suita.ed.jp/hak/moy/moy1.html

【参考文献】
神奈川大学日本常民文化研究所編『紀年銘(年号のある)民具・農具調査等―西日本―』(日本常民文化研究所調査報告 第8集)、1981年。
福田アジオ他編集『日本民俗学大辞典』下、吉川弘文館、2000年。

 

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