こよみの学校

第215回 暦への書き込み

書き込みカレンダー

昨今、書き込みカレンダーは市販品に加え、ネットでも無料ダウンロードできるものがあり、たいへん便利になっています。種類もいろいろで、壁掛けもあれば卓上型もあり、日曜はじまりか月曜はじまりかを選択することもできます。日付入りの書き込み式付箋といったアイテムも売られています。また家族全員のスケジュールを書き込むカレンダーもあれば、こどもだけの予定に特化したものもあります。もちろんスマホ用のデジタル・カレンダーに予定を入れることも日常茶飯となっています。

道長の『御堂関白記』

暦への書き込みという点では、歴史的には、藤原道長の『御堂関白記』が想起されます(本コラム第133回「御堂関白記―具注暦の日記」参照)。これは暦注の左に数行の余白をもうけ、そこに日記を書き付けたものです。これは予定表ではなく日記です。道長は、たいがいは翌朝、その前日に何があったかをメモ書きにし、備忘録として役立てていました。数日遅れてまとめて記したときもありました。すべて記憶にたよって記載したようです。そのため走り書きのような筆跡ゆえ、道長は達筆ではなかったと言われたりもしますが、寺院に奉納した経典などは見事な腕前を示しているそうです。もともと人に見せるために書いたのではなく、早く破却すべしと書き残しているくらいです。しかし、幸か不幸か、摂関家を継いだ子孫にとっては有職故実をわきまえるためにも貴重なものであったため、後世に伝えられてしまいました。いまでは暦としては唯一の国宝になっています。

お父さんの記録

ところで最近、暦への書き込みが民俗調査でも注目されるようになりました。岩手県北上市で葬儀の調査をしていた民俗学者の武井基晃氏はある家で平成9年から平成24年までの冊子状の暦の束を見つけました。それは岩手縣神社廳が刊行した『郷土暦』ですが、家族は「お父さんの記録」と呼んで、没後も折にふれて利用していました。そこには表紙と本文に次のような書き込みがありました。

A.命日・年忌供養等の予定の確認
B.旧暦で行う祭礼の新暦における日付の確認
C.その年の逝去の記録
D.その他記録(火災・事故、旅行・イベント、記念など)

これは未来志向の予定(A、B)と過去志向の記録(C、D)に分類でき、前者は毎年のように書き込まれる特記事項であり、後者はその年に発生した特記事項であると武井氏は述べています。また、表紙への書き込みもあり、その1年を総括するとともに、後で参照できるように個条書きで記入されていました。「お父さん」の死後も、その妻が地区の祭の日取りを書き込んでいたところからも事ある毎に見返していたものと推測されます。

未来の予定と過去の記録

わずか一例にすぎませんが、暦の使用者が未来の予定と過去の記録を、工夫を凝らして書きとめていたことは注目に値します。なぜなら当家のことだけでなく、ひいては地域の民俗を住民自身が備忘録のように書き残していた資料でもあるからです。道長の書き込みから貴族社会の実態をつぶさに知ることができるように、民俗調査においてもこのような資料を通して民俗社会の伝承のありかたに迫ることができそうです。

現代社会においては誰もがスケジュール管理のためにカレンダーや手帳を使っています。しかし、これを社会分析のための研究資料として活用している例をわたしは知りません。プライバシーにかかわることでもあり、扱いがむつかしいという側面もあるでしょう。日記とちがってカレンダーへの書き込みは断片的であり、スケジュール管理に特化しているため、情報に乏しいということもあります。もちろん時間がたてば、歴史資料として脚光を浴びるものもあるかもしれません。しかし、意図的にカレンダーや手帳を子孫や後世に残そうとする人はあまりいないでしょう。その意味でも、北上市の事例は貴重であり、今後の暦研究にもヒントをあたえてくれています。

【参考文献】
武井基晃 2022 「葬儀における難儀の顕在化―岩手県北上市の葬式組の動揺と維持―」『国立歴史民俗博物館研究報告』第234集、407-409頁。

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