こよみの学校

第211回 ムハンマドの生誕祭 その意義と異議

イスラームの誕生とムハンマドの生誕祭

イスラームの預言者ムハンマド(マホメット。A.D.570頃~A.D.632)はメッカに生まれ、40歳の頃アッラーの啓示を受け、唯一神への信仰と偶像崇拝の排斥を主張しはじめました。しかし、多神教を奉ずる支配的部族から迫害を受け、西暦622年に信者とともにメディナに逃れました。これを聖遷(ヒジュラ)とよび、この年をイスラーム暦(ヒジュラ暦)の紀元としています(本コラム第13話参照)。ムハンマドはメディナで教勢を拡大し、630年にメッカを征服し、その2年後には10万の信徒を従えてメッカ巡礼をおこないました。その勢力はアラビア半島の全土におよび、さらに北アフリカや南アジア・東南アジアにまで達しました。

アッラーの啓示をまとめた聖典がクルアーン(コーラン)です。またハディースというムハンマドとその後継者たちの言行録も編集されています。しかし、クルアーンにもハディースにもムハンマドの生誕祭のことは記されていません。というのも、マウリドとよばれるムハンマドの生誕祭は13世紀頃からはじまったからです。マウリドとは「生まれた時・場」をさすアラビア語ですが、そこから転じて預言者、その一族、さらには聖者の誕生日を祝っておこなう祭をさすようになりました。祭日はふつうスンナ派ではイスラーム暦第3月の12日ですが、シーア派では17日です。

生誕祭の祭日

イスラーム暦は純粋な太陰暦です。したがって、マウリドの祭日は太陽暦に換算すると毎年11日ほど前倒しになっていきます。季節を彩る歳時記としての祭りではありません。今年(2022年)は10月8日がマウリドにあたります。ところが、2015年には12月24日でした。翌日は言うまでもなくキリストの生誕を祝うクリスマスです。世界最大のイスラーム人口を誇るインドネシアでは、大統領はゴトンヨロン(相互扶助)の精神が大切だと述べる一方、信徒間の衝突を避けるために警備を強化しました。さいわい大きな混乱はありませんでした。他方、仏教徒の多いスリランカでもマウリドは祝日になります。2021年は10月18日の日没から翌日の日没までがマウリドだったため(本コラム第12話参照)、10月19日(火)は休日となりました。しかも仏教の満月祭ヴァップポーヤが10月20日(水)だったので、スリランカの国民は2連休の恩恵にあずかりました。

おなじイスラーム圏でもマウリドを祝わない国や地域があります。サウディアラビアやカタールなどがその例です。マウリドは偶像崇拝につながるとし、まったくおこなわれていません。これは18世紀後半、ワッハーブに主導されたイスラーム改革運動と深い関係があります。というのも1932年に建国されたサウディアラビア王国ではワッハーブ主義が国教の地位を占め、ムハンマドや神秘主義の聖者(スーフィー)に対する敬愛がアッラーに対する崇拝に抵触しないような措置を講じているからです。ほかの地域でもマウリドがあまりに祝祭的になりすぎている場合には批判されることがあります。

各地の生誕祭あれこれ

エジプトでは預言者をたたえる詩の朗読やスーフィーによるズィクル(唱名)がおこなわれます。モスクの前には市や屋台、芝居小屋が立ち、砂糖菓子の人形などが贈答の対象となります。女の子には花嫁人形、男の子には馬やラクダの人形が定番です。しかし、今ではいろいろなナッツを砂糖シロップで固めたスィーツがキロ単位で売られています。他方、インドネシアのロンボク島ではマウリドは村ごとに祭日が異なり、定番料理のナシ・ラスール(玄米を黄色く色づけして炊いたものの上にココナツや蒸し鶏を細かく裂いたものなどを乗せた料理)を数週間にわたって毎日のように食べています。おなじインドネシアでもジャワ島ではマウリドはムルダンとよばれ、西部北海岸に残るカノマン王宮では5日前からスカテンというガムラン(ゴングや鉄琴などのアンサンブル)が演奏されます。スカテンは古い歴史をもつ神聖なガムランであり、祭の前には楽器が水で清められます。その水は田に注ぐと豊作をもたらし、飲めば病が癒えるとされ、人びとはそれを争って求め、その様子は昔も今も変わりがありません。

【参考文献】
片倉もとこ(編集代表) 2002 『イスラーム世界事典』明石書店。
福岡正太 2009 「歳時世相篇 ⑫ 預言者生誕祭―聖なるガムランのゆくえ」『月刊みんぱく』3月号、国立民族学博物館。

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