こよみの学校

第210回 孔子の生誕祭 日本・台湾・中国

生後紀年と卒後紀年の孔暦

孔子(B.C.551~B.C.479)にかかわる紀年法は孔暦・孔紀とよばれ、生後(生誕)紀年と卒後(没後)紀年の2種類があります。これは康有為など清末の儒学者たちが唱えた説であり、当初は没年を元年としていましたが、その後はもっぱら生年を紀元とするようになりました。北京の孔廟に建つ孔子像には孔暦2548年(西暦1997年)と刻まれています。孔子廟以外ではあまり使われていない紀年法ですが、仏紀がもっぱら釈迦の没年を紀元とするのとは異なり、孔暦は誕生を重視していることがわかります。実際、9月28日の誕生日を記念して東アジア各地で釈奠(せきてん)と称する生誕祭がくりひろげられています。しかし、祭礼はその日にかぎられるわけではありません。また一般には釈奠という正式名よりも孔子祭などの名称で知られています。

長崎と東京の孔子祭

長崎の孔子廟では毎年9月中旬の土曜日に孔子祭がおこなわれています。今年(2022年)の場合は9月17日でした。コロナ禍で3年ぶりの開催となりましたが、規模を縮小して実施されました。長崎孔子祭は1983(明治26)年にはじまり、牛、豚、山羊の三牲(3種類の犠牲動物)が供えられ、礼服をまとった祭官によって古式ゆかしく執りおこなわれます。余興としては二胡の演奏をはじめ、「孔子伝」というオリジナル劇や雑技の変面ショーが人気をあつめています。ちなみに、江戸時代から続く湯島聖堂の孔子祭は毎年4月の第4日曜日が祭日です。かつては春秋2回だったものが、明治維新で途絶え、1907(明治40)年に復活したときから春のみとなりました。


台湾の孔子誕辰釈奠典礼

台北の孔子廟では毎年9月28日に「紀念大成至聖先師孔子誕辰釋奠典礼」が執行されます。実は、孔子の直系の子孫は1966年からの文化大革命を逃れて、台湾に移住しました。そのため台湾での釈奠が重視されるようになり、台湾市長や政府高官も参加しています。また、孔子にあやかり、この日は「教師節」として学校などでも祝われ、先生に感謝を込めてプレゼントを贈る習慣があります。他方、中国本土の「教師節」は新学期のはじまる9月10日に設定され、北京師範大学では優秀な教師を表彰する日となっていました。

中国曲阜の国際孔子文化節

孔子の生誕地である山東省の曲阜(きょくふ)には孔一族が多数居住し、世界文化遺産となった孔廟(孔子をまつる廟)、孔府(孔子の子孫の邸宅)、孔林(孔子の墓と子孫の墓園)が所在しています。「批林批孔」(林彪と孔子の批判)をスローガンに掲げた文化大革命の嵐が去り、1978年から改革開放政策が推進されると、孔子および儒学の復興がさまざまな局面で見られるようになりました。『論語』を解説する人気のテレビ番組、書店における儒学コーナー、公園での論語や千字文の読誦はその一例です。国家の国際的な文化戦略として展開される孔子学院の設立もまたその一環です。そして曲阜師範大学の構内には巨大な孔子像が建ち、また曲阜には壮大な孔子研究院も新設され、2008年からは世界儒学大会が開催されるようになりました。それは9月28日をはさむ「国際孔子文化節」の関連行事としておこなわれています。2007年にはその発起会議が開かれ、東京大学の中島隆博教授が日本からただ一人招かれていました。わたしも同時期、曲阜で現地調査をおこなっていましたので、同氏から「和の競り上げ」という興味深い感想を聞くことができました。つまり五常(仁・義・礼・智・信)のひとつである「義」ではなく、文化理念としての「和」が相場のように競り上げられているのだと指摘していました。実際、「国際孔子文化節」が1984年にはじまったときは「曲阜」が冠されていました。それが1989年には「中国曲阜国際孔子文化節」となりました。そして北京オリンピックを翌年に控えた2007年には「世界」と銘打った儒学大会の準備会が開かれ、翌年の第1回世界儒学大会へとまさに競り上げられたのです。

他方、曲阜の孔廟では9月28日に孔子文化節のハイライトである祭孔大典が古式ゆかしく執行されました。その模様は全国にテレビ中継され、北京の中国社会科学院の解説者は、儒教は宗教ではなく、孔子は人文の大家で教育者であると力説していました。また、テレビは政府関係者が献花や三礼をおこない山東省の代理省長が祭文を読み上げるところまでを中継し、そのあとに続いた伝統的祭礼はまったく放映されませんでした。

【参考文献】
中牧弘允 2009 「中国における儒教復興の諸相―北京と曲阜を中心に」中牧弘允編『産業と文化の経営人類学的研究』(科研報告書)国立民族学博物館、153-165頁。

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