こよみの学校

第207回 歳徳神と八将神

陰陽師というのは陰陽寮の「技官」とも言える官職です。大宝令にも見えますし、養老職員令にも占筮相地(せんぜいそうち)をつかさどる者の定員がもうけられていました。占筮相地とは筮竹(ぜいちく)をつかって占うことと地の相を見ることです。8世紀初期の陰陽師は陰陽博士のもとに6名配置されていました。このような陰陽師を「官人陰陽師」と呼び、「民間陰陽師」と区別することもあります。

陰陽師は占いを専門としていましたが、実際は、それ以外にも呪術・祭祀活動や日時・方角禁忌(きんき)にかかわっていました。呪術・祭祀活動としては追儺(ついな)や泰山府君(たいざんふくん)祭などをおこなっていましたが、暦との関連では日時・方角禁忌が重要です。平安時代の方角禁忌としては「方違え」が有名ですが、ほかにもさまざまな禁忌に縛られていました。これについては順次、取り上げていこうと思います。

その手始めとして、まずは歳徳神(さいとくしん、としとくじん)と八将神(はっしょうしん)のことを紹介しましょう。歳徳神は陰陽道では神格化されていますが、歳徳(としとく)とも言い、その年の明けの方、つまり恵方や吉方を意味しています。正月に明けの方から迎える歳神(としがみ)と同一視されることもありますが、本来は方角を示しています。暦本の最初の頁に「としとくあきの方」とあり「いねの間万よし」のように亥子(いね)の方位がその年の恵方であることを示しています。王妃のような姿であらわされることもあります。一説には「頗梨采女(はりさいじょ)」であるとか、牛頭(ごず)天王の妻で八将神の母であるとの説明もなされています(安倍晴明簠簋内伝図解)。年ごとに配される歳徳神の方位は以下のとおりです。

歳徳神の八王子とされる八将神も暦本の巻頭に並べて表示され、「暦の始めは八将神」と言われていました。平田篤胤によると、吉備真備が唐から帰朝し、陰陽道で身を立てようとし、牛頭天王を須佐之男命に結びつけ、八将神をつくったといわれています。伊勢暦には次のように方角の吉凶が載っています。

木を切らず、3年ふさがり、産をせず、種まかず、移徙(わたまし、移転)せず、船乗り始めせず、嫁とらず、弓はじめは𠮷、大小便せず、畜類もとめず、といった意味です。

陰陽師は歳徳神や八将神の祭祀もおこなっていました。そのあたりを想像させるような与謝蕪村(よさぶそん)の発句があります。

「秋立つや 何におどろく 陰陽師」

この句は『古今和歌集』にある藤原敏行の和歌を念頭に置いています。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」

立秋になると風の音で秋が来たことにはっと驚くいにしえの宮廷貴族に対し、「官人陰陽師」は絶えて久しいものの民間の陰陽師たちは盛んに活動していましたから、暦の上での季節の変化をどう捉えているのだろうかと問うているわけです。

安倍晴明は超能力の持ち主として神格化され、江戸時代になると安倍家を継いだ土御門(つちみかど)家が全国の陰陽師を配下におさめるようになりました。土御門邸の晴明社への「上京参拝」もおこなわれていました。蕪村は大坂の出身ですが、京都に移り住んでいましたから、陰陽師たちの動向にも敏感であったにちがいありません。天文と暦にたけた超能力者は何におどろくのかと洒落っ気たっぷりに詠んだ蕪村はさすがです。

【参考文献】
暦の会編 1986 『暦の百科事典』新人物往来社。
細井浩志 2020 「『陰陽道』概念と陰陽道の成立について」細井浩志編『新陰陽道叢書 第1巻 古代』名著出版。

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