こよみの学校

第203回 東日本大震災のカレンダー

2011年3月11日の東日本大震災から11年が経ちました。いまでも避難生活を余儀なくされている方々がいる一方、復旧・復興がすすみ地元で新生活を再開した人々も増えています。この間、新聞や雑誌をはじめチラシから単行本にいたるまで多種多様な刊行物が出版されましたが、カレンダーも例外ではありません。今回はその代表的なカレンダーを通して東日本大震災をふりかえってみたいと思います。

三陸復興カレンダー

まず震災と津波の翌年に時計の針ならぬ暦の頁を戻してみましょう。東日本大震災被災地支援チーム SAVE(セーブ)IWATE(イワテ)が刊行した2012年の「三陸復興カレンダー」を見てみると、大船渡市の念仏剣舞(けんばい)の写真が表紙を飾っています。

そこには「鎮魂と祈りの民俗芸能」というタイトルがつき、「人々は幾たびも災いを乗り越えてきました ふるさとの心をつなぐ まつりとともに」というメッセージが添えられています。実際、この剣舞の伝承館は壊滅し、面や衣装を流出しましたが、震災後の百か日法要や新盆供養に演じられたと解説には書かれています。源平の亡魂を鎮めたとの伝承をもつ民俗芸能がまさに人びとの心をつなぎ、大災害を克服する力になっていることがよくわかります。月表をめくると、黒森歌舞伎(1月)を筆頭に夏井大梵天神楽(12月)まで三陸沿岸各地に伝わる民俗芸能の写真を12枚掲載するとともに、催事予定情報を月ごとにリストアップしています。とはいえ、本当のところ、予定としか言いようがなかったかと思います。

三陸復興と銘打ったカレンダーはいまでも刊行を続けています。2022年版を見ると、判型や中綴じの基本スタイルは維持されていますが、大きく変わっているのは月表と支援情報です。まず月表の掲載事項が格段に増加しています。年号、干支、旧暦の月日、六曜、ならびに翌月の七曜表が追加されています。また、空白の日に薄墨の日玉(にちだま。日にちの数字)が入り、土曜日が青色となっています。さらに民俗芸能の動画が見れるようにQRコードが付いています。しかも、3月11日の地がさりげなく薄い灰色になっていることがいかにもグレーです。 普通の日でもなく、記念日でもないからでしょうか。

他方、被災地支援チームは「一般社団法人 SAVE IWATE」となり、盛岡市に本部事務所をかまえるだけでなく、各地にセンターや番屋、村や店を置いています。そこで「復興ぞうきんプロジェクト」とか「かご細工プロジェクト」などの社会事業活動が展開されていることが紹介されています。カレンダーの収益が支援活動の経費に充てられていることとともに。

岩手復活暦

岩手復活暦は被災者が写真のモデルとなったユニークなカレンダーです。しかもキャッチコピーが秀逸です。

2014年版の表紙のそれは「一歩、二歩、三年間の軌跡」、1月・2月のものは「あの日と、早く、仲直りしたい。」。そして続きます。「もう大丈夫。半分本当、半分嘘。」(3月・4月)、「昨日と違う朝がくる、少しずつ。」(5月・6月)、「逃げるって悪い言葉じゃないよ。」(7月・8月)、「強がっていれば強くなれるかな。」(9月・10月)、「今度は悲しみを壊してやる番。」(11月・12月)。

そこには同一人物(たち)の3枚の写真と近況がつづられています。たとえば3月の頁からは「以前は“被災地から来ました”と言うだけで売れていましたが、もう違います。商品が良くなければ売れません。震災の風化のせいにして売れないことを愚痴ってちゃダメだと思うんです」という生の言葉が聞こえてきます。「今年から海水浴場が再開しましたが、まだ、どうしても泳ぐ気持ちになれない」(6月)とか「10数mの津波が来た場所なのに、かさ上げは1m・・・とてもじゃないけとここでは怖くて生活できませんよね」(7月)と本音が漏れています。対照的に月表のほうはいたってシンプル。曜日と国民の祝日しか情報がありません。

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