こよみの学校

第200回 ユリウス暦の越年祭-スイスのシルベスタークロイゼ

スイスの東北部、オーストリアとドイツとの国境に近い山間のアッペンツェル地方には、大晦日になると異形(いぎょう)の来訪者集団があちこちに出現します。その出立ちは秋田県男鹿(おが)半島のナマハゲや鹿児島県甑島(こしきじま)のトシドンを彷彿(ほうふつ)とさせるものがあります。というのも、おどろおどろしい仮面をかぶり、森の木の葉や木の実、あるいは木の皮や苔などを利用して仮装するからです。

この集団はドイツ語でシルベスタークロイゼと呼ばれています。シルベスターは男性名で大晦日を意味しますが、由来は迫害で大晦日に死去したローマの司教名にあります。クロイゼはクラウスの複数形であり、クラウスは聖ニコラスの愛称です。聖ニコラスはカトリック圏では12月6日にやってきて、よい子にはプレゼントを、悪い子には小枝のムチで懲らしめを与えますが、煙突から入って家々をまわると(子どもたちには)信じられています。ただし、シルベスタークロイゼのほうは聖ニコラウスの12月6日でもサンタクロースの12月24日でもなく、12月31日にやってきます。しかも、子どもたちに贈り物もしません。逆に、カウベルや大鈴を鳴らしたり、ヨーデルを歌ったりする、いわゆる門付けをおこなうので、家々から何かしらの心付けをもらいます。

シルベスタークロイゼは年の変わり目に欠かせない存在です。古い年が新しい年に更新されるとき、シルベスタークロイゼが旧年の幕引きをおこない、いつのまにか消えてゆきます。そこまでは民俗的伝統として理解することができます。ところが、アッペンツェル地方では消え去ったはずのシルベスタークロイゼが1月13日にふたたびあらわれるのです。その謎は暦法のちがいにあります。つまりグレゴリオ暦だけでなく、ユリウス暦の大晦日にもシルベスタークロイゼは不可欠なのです。

暦法のちがいは宗派と関係していました。1582年、ローマ教皇グレゴリオ13世が改暦委員会を開き、世にいうグレゴリオ暦を採用しましたが、すぐそれに従ったのはカトリックの強い影響下にある国々でした。たとえば、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ポーランドなどです。それに対し、プロテスタント諸国ではドイツ、スイス、デンマークが1700年、イギリスが1752年、スエーデンが1753年といった具合に、それまでずっとユリウス暦を使い続けました。ギリシャやバルカン諸国、あるいは旧ソ連など東方正教の場合は第一次世界大戦後にようやくグレゴリオ暦に切り替えていきました。この間、スイスやドイツ、オランダなどは州や領邦ごとに、それぞれの事情に応じて2つの暦を使い分けていたのです。

スイスのアッペンツェル地方にはプロテスタントが多く、ナポレオンの占領下でグレゴリオ暦を強制されるまで、ユリウス暦のみで暮らしていました。いまでも農民暦にはユリウス暦が併記されているようですし、大晦日も2つの暦ですごしているのです。

さらに子細に見ていくと、この地方の生活圏には村(ドルフ)と谷(タル)のちがいがあります。村には教会や役場、さらに広場や商店があります。他方、谷では農業や牧畜が主たる生業です。農業といっても家畜飼料の栽培が中心で、牧畜も牛を中心とした移牧であり、夏の間は牧夫が放牧地で牛を飼い、チーズやバターをつくって暮らしています。ユリウス暦のシルベスタークロイゼも近年まで「タルのお祭り騒ぎ」とよばれていたように、ドルフでは見られないものでした。

ところで、シルベスタークロイゼの仮装は2つ(あるいは3つ)のタイプに分類されます。ひとつは先述した自然の素材を利用する「自然派(ナトゥア)」や「野生派(ヴュエシュテ)」で、もうひとつは手作りの美しい頭飾りや仮面を採用する「美麗派(シェーネ)」です。タイプのちがいはあってもルーツをたどれば、キリスト教以前の森の精霊にゆきつくことはまちがいありません。なお、国立民族学博物館(大阪府吹田市)のヨーロッパ展示のコーナーには「美麗派」の頭飾りが常時置かれています。

【参考文献】
岡部由紀子 1988 「シルベスタークロイゼ―スイス、ウルネッシュ村の越年祭」『季刊民族学』46、6-19頁。

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