トラはアジアの猛獣ですが、日本に野生のトラはいません。おもにインド、中国、シベリア、そして東南アジアに生息しています。朝鮮半島における加藤清正の虎退治は有名な話ですが、同地ではすでに1924年に絶滅しました。中国黒竜江省のアムールトラも絶滅危惧種に指定されています。
十二支の寅(とら)は子(ね)から数えて三番目ですが、「はじまり」をあらわすことが多いようです。それはトラが活動的であるとみなされているからです。虫偏に寅と書く「螾(いん)」は「動」を意味しています。五行の木火土金水では木気のはじめが寅です。そのため生れ出るもの、動きはじめるもの、出現するものが寅に象徴されているのだそうです。
その代表例が正月の縁起物である「張り子の虎」です。それは首がかならず動くように作られているのが特徴です。また首を「はじめ」と訓(よ)むのも、それに関係しているそうです。平安時代、宮廷における産湯の儀では「虎の頭」を象徴するものが魔除けとして使われていました。それは五行思想にもとづいていて、夜(=水気)から暁(=木気)に推移する際、枕元に「虎の頭」を置くことによって鬼などの妖怪を退散させるおまじないだったからです。
お年玉の郵便切手に十二支が使われるようになったのは昭和25年(1950)からです。ちょうど寅年だったので、円山応挙の虎の絵が採用されました。ただし、「はじまり」を意識していたかどうかは不明です。それ以降、寅年になると定番のように張り子の虎が登場しました。1962年は出雲の郷土玩具、1986年は大阪道修町(どしょうまち)の神農の虎、1998年は福島県三春の腰高虎と博多の首振り虎の二種でした。2010年にも金沢の加賀魔除けの虎と静岡市の首振りの虎の二つが選ばれました。今年は張り子の虎ではなく、川崎巨泉(1877~1942)の描いた郷土玩具(おもちゃ絵)から採り上げられています。
ちなみに、神農の虎は江戸時代にコレラ(虎列刺)が流行した時、道修町の薬種仲間がつくった「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬(がんやく)が売れたことに端を発しています。いまでも神農さんの縁起物(神虎笹守)には張り子の虎が笹に結び付けられます。
虎の霊力については頭だけでなく皮についてもさまざまな伝承があります。『日本書記』の欽明朝には百済で虎を退治し、皮を持ち帰った人の話が載っています。また天武天皇の病を癒すため、新羅から届いた虎皮が使われたようです。菅原道真の怨霊におびえた貴族が虎皮を腰に巻いたり、蒙古襲来の時に馬の背に虎皮を掛けたりした武将もいました。
他方、「寅除け」というタブーもあります。高知県では葬式に寅の日を忌むし、秋田県には死後一週間以内に寅の日があると寅祭をして厄を払う風習があります。死者にとって寅は悪い作用をおよぼす「はじまり」として意識されていたからです。誕生の時の吉は葬式のときには凶となる逆転現象とみることができます。
最後に、江戸時代の大小暦に描かれた張り子の虎を紹介しましょう。今年の暦文協オリジナル・カレンダーの5月の図柄になっているものです(国立国会図書館デジタルコレクションから)。虎の模様には大の月が描き込まれていて、尾に「正」、胴体に「二、七、九、四、六」、左後ろ足に「十二」の漢数字を判読することができます。その組み合わせは文政元年(1818)の寅年以外にはありません。また張り子の虎の隣りには達磨が控えています。達磨もまた七転び八起きの縁起物です。とはいえ、5月になったら手も足も出なくなる阪神タイガーズであってほしくはないですね。縁起でもない!
【参考文献】
濱田陽 2017 『日本十二支考―文化の時空を生きる』中央公論新社。
吉野裕子 1994 『十二支―易・五行と日本の民俗』人文書院。