こよみの学校

第198回 受難のサンタ

1951年、フランスでサンタクロースが火あぶりにされるという事件が起きました。12月23日午後3時頃、東部ブルゴーニュ地方の中心都市ディジョンでは、アメリカ的なサンタクロースの人形が大聖堂の鉄格子に吊されたあと、広場で火刑に処せられたのです。しかも、250人ものこどもたちの目前でおこなわれました。これにはカトリックの聖職者たちも加担していました。かれらの言い分は、フランス革命に端を発する発する国是の政教分離原則(ライシテ)にもとづいていました。いわく、公立学校では宗教色をなくすため、クレッシュ(キリストの生誕場面をあらわしたクリスマスの装飾物)を禁止するのに対し、サンタクロースは不問に付されているというのです。第二次大戦の終結以降、荒廃したフランスの復興にアメリカのプレゼンスが高まったことも背景にあったようです。

ところが、翌24日の夕刻、ディジョン市庁舎の屋根にサンタクロースが忽然と姿を現したのです。あたかも「受難のサンタ」が復活したかのようでした。これは実は市長の粋なはからいでした。それからというもの、クリスマス・イブには市役所の屋根にサンタクロースが毎年出現し、こどもたちの人気をあつめるようになったそうです。

表面的な事件の経緯は以上のとおりです。そのときフランスの民族学者クロード・レヴィ=ストロースは「火あぶりにされたサンタクロース」(1952年)という論文を書き、サンタクロースの構造分析をおこないました。その冒頭部分で、サンタクロースはアメリカの影響をあらわしているとしても、それだけで説明し尽くそうとするのは単純すぎると警鐘を鳴らしました。

まず、フランスの伝統的なサンタクロースは「ペール・ノエル(クリスマスおじさん)」とよばれ、老人の風貌をしています。これは思慮と権威にあふれた昔の長老の姿を体現するものであり、年齢階梯社会を前提としていて、成人式などの通過儀礼の類であることに着目しました。サンタクロースの場合、その実在を信じていない大人たちが、それを口外せず、秘匿したまま、こどもたちにはその実在を信じ込ませようとすることを証拠として指摘しました。

次に、ペール・ノエルは緋色の衣服を身にまとっていますが、それは国王の色とのことです。国王とは言っても、クリスマスのあいだだけ「国王」になることを認められた存在で、ルーツは古代ローマのサトゥルヌス祭の「偽王」にあると見ています。サトゥルヌス祭は最初の頃は12月17日におこなわれましたが、帝政末期に7日間延長され、12月24日まで届くようになりました。その「12月の祭」では贈り物の交換のあと陽気な祝宴がひらかれ、富めるものも貧しいものも、主人も召使いも平等の付合いをしました。ヨーロッパ中世においても、階層や身分を隔てる仕切りは一時的に取り除かれていました。つかの間の平等原理、これも階層社会に不可欠な特徴の一つであると指摘しました。

しかし、もっと重要なのは、太陽がいちばん弱まる冬至の時期におこなわれることの深い意味です。これは生と死、あるいは生者と死者との関係にかかわります。ハロウィンからクリスマスにかけては死者がよみがえって生者の世界を訪問する期間です。日本のお盆を想起するといいかもしれません。そのとき人びとは死者(死霊)を手厚くもてなし、見返りを求めない気前の良さを贈り物に託してあの世に届けたいと思っているのだと分析したのです。こどもたちにプレゼントを届けるサンタクロースは、実は大人たちの心の秘密の部分に、一つのアリバイを与えているのだ、と。

ディジョンの教会関係者たちはサンタクロースを断罪し異教的なものを排除しようとしましたが、かえって異教的なものに強固な表現を与えてしまったとレヴィ=ストロースは結んでいます。「受難のサンタ」に宿るヨーロッパの古い伝統と、人びとの心に潜む深層心理をかれは同時に解明したと言えるかもしれません。

【参考文献】
クロード・レヴィ=ストロース(訳・解説:中沢新一)2016 『火あぶりにされたサンタクロース』角川書店。旧版は『サンタクロースの秘密』(せりか書房、1995年)。

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