こよみの学校

第193回 ヘシオドス『仕事と日』― 古代ギリシャの農事暦と日の吉凶

ヘシオドスは紀元前700年頃のギリシャの詩人です。詩人とはいっても紙に書きつける詩文の作者ではなく、口誦で歌いあげる吟遊詩人や即興詩人に近い存在でした。ギリシャ神話の多くはかれの叙事詩に由来しています。とくにヘシオドスの『神統記』には神々や英雄たちの物語が歌われていて、ホメロス作といわれる『イリアス』と『オデュッセイア』とともにギリシャ神話の根幹をなしています。ギリシャ神話は旧約聖書のような書かれた書物ではありません。アオイドスという詩人たちによって受け継がれてきた口承文学です。

ギリシャ神話を物語った語り部アオイドスのひとりであったヘシオドスは、他方で、神々や英雄の物語ではなく、人々の暮らしを韻文で歌いあげた『仕事と日』という叙事詩を残しています。そこにはふつうの農夫や牧夫の日々の暮らしぶりを描写したくだりがおさめられています。西洋古典学者の久保正彰氏はそれを仮に「農事暦」と称していますが、農耕や牧畜の目安となるような実用的な暦ではない、とすぐに断りを入れています。なぜなら、特定の土地に通用する暦ではないし、地域の祭祀や儀礼にも言及していないからです。むしろ、それは地域性を超えたもっと抽象的な「農」にかかわる思索になっている、と同氏は見ています。

とはいえ、ヘシオドスの農事暦は「自然のしるし」とそれに対応する「農事のつとめ」から構成されています。たとえば、「焼けつく太陽が衰え汗が吹き出さなくなる、夏のあとの雨をゼウスが降らせる、人の肌がさわやかになる、シリウス星が夜空によく見えるようになる」時期になると、「樹木を切り倒す、臼、杵、車軸、斧の握り、車輪の輻(や)を作る、犂床(すきどこ)、柄(え)、長柄を準備する、9歳の牡牛2頭、40歳くらいの作男を一人、準備する。」といった具合です。さらに「雲のあいだから鶴の声、耕作と秋を告げる」頃になると、「牛に充分餌をやる。主人も奴隷も一緒に耕作する、降ろうと照ろうと早朝から。休耕地は春、夏にも犂を入れるほうがよい。休耕地の土が犂でふっくりと柔らかくなっている時に種を蒔く。・・・犂を入れるまえに、大地のゼウスと麦の女神デーメーテルに稔りの豊かならんことをまず祈願する。種を播いたら、鳥にほじくられないように、土くれをほぐして種をかくす。」というようにつづきます。古代ギリシャの農事暦は秋からはじまり、犂をつかって土を耕し、播種をおこない、冬の嵐を耐え忍んだ後、ツバメがやってきてカタツムリが果樹の幹を登ってくるころ、日の出前から刈入れをおこない、オリオン星座が暁の空に現れるころ、麦を収穫し蓄えよとすすめています。日本の稲作のような年毎の春耕秋収ではなく、土地を休ませる休耕地農業であるとともに、麦作は秋耕春収のサイクルであることがわかります。

日の数え方には二通りあって、ひとつは月の満ち欠けによるもので、月が満ちはじめてから何日目とか、欠けはじめてから何日目と数えています。もうひとつは上旬、中旬、下旬と三つに分ける数え方で、ヘシオドスはこれらふたつの方法を併用しています。そして、月の6日には羊小屋に柵をめぐらせるのによいとか、4の日は葡萄酒の壺を開く日とか歌っています。つまり、『仕事と日』の最後の60詩行ほどは1ヵ月のうちの吉凶の日々のリストになっています。そこには月の5の日はどれも辛く恐ろしいので、みな避けよと言い、実質的な休日をもうけています。

久保氏によれば、麦畑の耕作や播種、ブドウの剪定など、季節を逃してはならない仕事は恒星暦や太陽暦にしたがい、自然の移ろいに対応しなくてもよい仕事―柵のつくろいや樹木の伐採など―は月暦による指定を受ける傾向があるようです。

最後に、『仕事と日』のもう一つの特徴として教訓に富んでいることがあげられます。「言葉の慎みより尊い宝は、この世にない」とか「仕事をあす、あさってと延ばしてはならぬ」といった格言です。また「人が飢えを凌ぐために神々がわかち与えたもの」、それが「農」であるという主題を歌いあげています。久保氏はこの「農」こそ暦を支える信念であり、換言すれば「農事の倫理的価値を高める」のが暦であることを力説しています。

【参考文献】
久保正彰 1973 『ギリシャ思想の素地―ヘシオドスと叙事詩―』 岩波新書。
ヘーシオドス (松平千秋訳) 1986 『仕事と日』 岩波文庫。

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