こよみの学校

第191回 オリンピア紀元―古代ギリシャの紀年法

オリンピア紀元とは?

夏季オリンピックは4年に1度ひらかれるスポーツの祭典です。古代ギリシャに起源があり、近代オリンピックはクーベルタン男爵の提唱により1896年にアテネではじまりました。しかし、オリンピックと関係する暦法が古代ギリシャ・ローマでひろく使用されていたことはあまり知られていません。それは紀年法にかかわり、オリュンピア紀元(以下、オリンピア紀元)と呼ばれています。4年周期のオリンピア紀(オリンピア期、オリンピアード)という言い方もあります。

オリンピア紀元はBC776年7月8日に開催されたオリンピック競技会を紀元とする紀年法です。この競技会はペロポネソス半島の西北部、エリス地方のオリンピアではじまりました。そしてAD393年に廃止されるまで4年毎に293回、1169年の長期にわたって続けられました。それは古代ギリシャの主神ゼウスにささげられる祭典競技であり、4大祭典のなかでも最大級の規模をほこりました。廃止の直接の理由は、キリスト教がローマの国教となり、ゼウスの祭祀が異教とみなされるようになったからです。

オリンピアでの最初の競技は192.27m(ヘラクレスに由来する620フィート)の短距離走でした。その長さをスタディオンと呼び、それが競技場スタジアムの語源になりました。後にはその走路を往復する競争やレスリング、また走り幅跳び、槍投げ、円盤投げなどが加わりました。会期も当初の1日から最盛期には5日間になりました。優勝者にはゼウスの神木オリーブの枝で編んだ冠が与えられ、その彫像がオリンピアに建てられました。

オリンピックと暦

では、どのように暦年を記していたかを紹介しましょう。そもそも第1回オリンピックを基点とする4年周期の数え方では、たとえばBC310年はオリンピア紀117回第3年と数え、Ol.117,3と記しました。「Ol.」は大文字のオー(O)と小文字のエル(l)にドットで、オリンピアの略です。

それとは別に、アテネやスパルタ、あるいはローマでは重要な役職に就いた人の一覧表がつくられ、年を特定していました。それらの役職のなかでアテネではアルコン、スパルタではエフォロス、ローマではコンスルが代表的なものでした。その一方、BC5世紀末にはオリンピック競技の優勝者のリストも作成され、暦年を定めるときに併用されていました。

たとえば、アケメネス朝ペルシャのクセルクセスが軍を率いてBC480年にギリシャに侵攻しました。その年のことを歴史家ディオドロスは次のように記しています。

アテネにおいてカリアデスがアルコンのとき、ローマ人たちがスプリウス・カッシウスとプロクルス・ウェルギウス・トゥリコストゥスをコンスルに選び、エリス人たちのもとでシュラクサのアストゥロスがスタディオン競争で優勝した第75回オリュンピア競技会の年

このような表記から、アテネとローマで最も重要な役職に就いていた人物名とオリンピック短距離走の勝者の出身地名と個人名がオリンピアードの回数とともに併記されていたことがわかります。

いまでも夏季オリンピックの正式名称はオリンピアード競技大会(Games of the Olympiad)です。しかし、第1回アテネ大会の1896年が一般の暦で紀元に使われることはありません。また、現代のオリンピアードは西暦1月1日にはじまり、4年後の12月31日に終了します。それも古代のオリンピアードが7月8日を基点にしていたこととは異なっています。

「キリ番」の東京オリンピック

ところで、2021年の東京オリンピックはBC776年から数えて第700番目の(古代)オリンピアードにあたることが指摘されています。というのも、西暦0年は存在しないため、古代と近代のオリンピアードには1年のズレがあったのですが、はからずも是正される結果になったからです。しかも、400年に1回の「キリ番」(切りの良い番号)という巡り合わせであることもおもしろいと思いました。

【参考文献】
島田誠 2014 「古代ギリシャ・ローマの紀年法」岡田芳朗ほか編『暦の大事典』朝倉書店、90-94頁。

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