こよみの学校

第190回 那智の扇神輿―暦の象徴として

那智の火祭りは熊野那智大社の例大祭です。今は曜日に関係なく、7月14日が祭日と決まっています(古くは旧暦の6月14日と18日)。広く「火祭り」として知られていますが、かつては「扇祭り」と呼ばれていました。正式には扇会式(おうぎえしき)と称するそうです。というのも、扇神輿(おうぎしんよ)とよばれる高さ5mあまりの造形物が12基、熊野那智大社から那智の滝に下りてゆくからです。

 

『馬扇に先導され那智大社から那智の滝に向かう扇神輿の行列』

そのとき滝本からも12本の大松明(おおたいまつ)が登ってきて、薄暗い石の階段の途中であたかも揉みあう格好となり、参拝客にとってはそこが最大の見どころとなっています。
(※2021年も昨年同様、コロナウィルス感染症防止のため関係者のみでおこなわれます。一般の参加はできません。)

 

『扇神輿と大松明』

扇神輿は那智の滝をあらわしたつくりものです。滝は絶壁から130m下の滝壺まで一直線に落下していますが、途中で岩にあたり、左右二筋に分かれて砕け落ちるようにも見えます。つくりものはその滝の姿を模しているのです。

 

『滝本に立てられた扇神輿』

12基あるのは1年12ヵ月を示すと同時に、熊野十二所権現をあらわすとも説かれています。熊野権現とは三山(本宮、新宮、那智)の祭神の総称ですが、12ヵ所でまつられているところから十二所権現という名称も使われています。権現というのはインドの仏菩薩が日本では神として顕現したという教説にもとづく言いかたです。要するに熊野修験道では神仏習合がすすんでいて、神々の本地仏(ほんぢぶつ)であるところの仏菩薩も千手観音、薬師如来、阿弥陀如来という具合に12組対応しているのです。

扇神輿はさらに深く暦と関係しています。1基の扇神輿は杉の木枠に赤の緞子(どんす)を張り、32個の金地日の丸扇を使って造形します。中央の枠の先端には「光」と呼ばれる太陽の象徴が、基底部には半開きの扇が2本取り付けられます。後者は上弦と下弦の月を象徴するものです。この2本をのぞくと30本の扇となり、1ヵ月の日数を示すとも言われています。

12基の扇神輿には十二支も配当されていて、第一扇が午(うま)となるように、たとえば第七扇を子(ね)、第十二扇を巳(み)としています。なぜなら、那智の滝を正南にとり、方位としての午にあたるようにしているからです。実際、十二基が隊列を組んで滝本に降りてゆくとき、午の第一扇が先頭に立ちます。

扇神輿の赤い緞子を木枠に固定するとき縁松(へりまつ)という長短の板木が使われます。

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長いほうは二尺三寸、短いほうは一尺三寸です。その両端に大小の波状の削りかけをつくるのですが、平年だと12、閏月のある年だと13となります。旧暦の閏年には13基の扇神輿を用意するのではなく、こんな人目につかないところで13ヵ月を表象しているのです。また、縁松を固定するときには竹釘を使いますが、その数は1基につき360本と決められています。1太陽年に近い数です。また、日の丸扇は1基につき32本ですから、12基だと384本となります。これは閏年の1年に近い日数です。このような数字が暦にちなんで意図的に決められたのかどうかわかりませんが、興味をひきます。

扇の造形はまだあります。扇神輿の基底部には植物で檜扇(ひおうぎ)という俗称をもつアヤメの葉が4本取り付けられます。12基の扇神輿を先導する馬扇もまた扇形をしています。さらに、滝本で扇神輿を一基ずつ清める「扇ほめの式」では烏帽子をかぶった神職が打松(うちまつ)という削りかけの造形物を使います。これも扇形をしています。なぜこれほどまでに扇の象徴が溢れているのでしょうか。

 

『扇ほめの式』

ひとつには、扇は末広がりという縁起の良いものだからでしょう。他方で、風を起こすという意味も込められています。その風によって災難、害毒、毒虫を吹き飛ばす霊能があるとされているからです。祭りが終わると扇神輿はただちに解体されますが、「光」や縁松の部分をつかって虫除け、厄除けの護符をつくり、かつては水田の水口(みなくち)に立てていました。いまでは神棚に祀っているそうです。このように那智の火祭りは扇で風を起こし、災厄をはらい、稲作の豊穣を祈願する夏祭りの性格が強いと言えるかもしれません。

 

『護符をつくる』

【参考文献】
『那智叢書 第八巻 扇神輿組立法』熊野那智大社、1966年。
中牧弘允「火と水と扇と人が演じる風雅 那智の扇祭り」『自然と文化』春季号、観光資源保護財団、1980年、32-36頁。

 

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