日本列島に暮らす住民にとって火山は身近な存在です。何よりも日本を象徴する山である富士山が活火山です。その南東に位置する伊豆諸島も火山活動によってできた島々です。1986年、伊豆大島の三原山が大噴火し、迫り来る溶岩を避けて島民全員が1ヵ月ほど島を離れて東京に避難しました。伊豆諸島の南に連なる小笠原諸島のひとつの島、西之島では近年噴火がつづき、島がどんどん大きくなっています。北に目を向ければ昭和18(1943)年、北海道の大地に突然マグマが噴出し、標高約400mの昭和新山が出現しました。九州には阿蘇山が中央にそびえ、桜島はしょっちゅう噴煙を上げています。
火山列島とも称される日本列島ですが、火山は意外にも暦と浅からぬ関係にありました。もちろん暦とは言っても現在のカレンダーではありません。また中国から伝来した暦とも無縁です。むしろ、それよりはるか以前から認識されていた一種の時間観・世界観・死生観とかかわっていました。
その一例は佐賀県の吉野ヶ里(よしのがり)遺跡に関するものです。弥生時代の大型環濠集落として知られる遺跡ですが、1986年に発掘調査がおこなわれました。いまでは主要な建物が復元され、国の特別史跡にも指定され、観光名所に仲間入りしています。最近、その吉野ヶ里遺跡全体の中心軸線が有明海をまたいで南方約64km先の雲仙普賢岳に向いていることが注目されています。雲仙普賢岳と言えば、43人もの犠牲者をだした1991年6月3日の大火砕流や土石流を思い出しますが、約50万年前から火山活動がはじまったと言われています。他方、中心軸線上の大型建物から見た西暦150年における夏至の日の出の方位は、東北東に約38kmへだたった屏山(へいざん)山頂の方向と一致するという結果が得られています。そのことから吉野ヶ里の環濠集落は夏至の日の出方位と火山の方位とを重ねたのではないかと推測されているのです。
もうひとつの事例は富士山です。静岡県側の富士山麓に築かれた前方後円墳である丸ヶ谷戸(まるがやと)遺跡は1989年に発掘調査がおこなわれました。その墳丘軸線の先には富士山がそびえていました。その古墳は磁北からは40度もずれていることから、富士山に向かって築造されたことが明らかです。似たような例は静岡県で3基、神奈川県で1基、埼玉県で3基あり、埼玉県の類例のなかには埼玉稲荷山古墳が含まれています。稲荷山古墳と言えば、鉄剣に干支(辛亥)年やワカタケル大王(雄略天皇)の銘が刻まれていることでもよく知られています。また、稲荷山古墳の被葬者は船形木棺におさめられ、その舳先(へさき)は前方部、すなわち富士山に向いていました。そのことから、被葬者の魂は船に乗って富士山に向かうと観念されていたのではないかと推定されています。
火山は人智を越えたパワーを感じさせる畏怖すべき存在です。実際、今から7300年前に鹿児島の南で大噴火が起こり、その火砕流によって南九州全域の縄文人が絶滅したという説があります。他方、太陽は人類に限りない恵みを与えてくれる崇拝の対象でした。そうしたことが相まって現世のすまい(例:環濠集落)や来世のすみか(例:古墳)になにがしらの影響をあたえたにちがいありません。周囲の景観にあわせ、最適の世界観や死生観を選択することに古代人もこだわっていたのでしょう。弥生時代の吉野ヶ里遺跡をはじめ、古墳時代の丸ヶ谷戸遺跡や稲荷山古墳はそうした観念を解き明かす貴重な素材を提供しているように思われます。
【参考文献】
北條芳隆「古墳・火山・太陽」『第四紀研究』56(3)、2017年、97―110頁。