こよみの学校

第187回 ミュシャの四季カレンダー

ミュシャのカレンダー

パリの人気女優サラ・ベルナールの公演ポスターで一躍表舞台に躍り出たミュシャにはさまざまな注文が舞い込むようになりました。ポスターや装飾パネルに混じって広告宣伝のための名入れカレンダーもそのひとつです。代表作の「黄道十二宮」については先回(第186回)紹介しましたが、「季節(SAISONS)」もミュシャの人気作となりました。ふつう「四季」と翻訳されている作品群です。

1897年のカレンダー

まず、マッソンというパリのチョコレート会社の注文に応じた1897年のカレンダーをとりあげてみましょう。メキシカン・チョコレートを売り出すものです。そこでの四季は春夏秋冬の順ではなく、冬(1月から3月)からはじまり、春(4月から6月)、夏(7月から9月)を経て秋(10月から12月)で終わります。 カレンダーは1月はじまりなので、必然的に冬が最初になったのでしょう。ひるがえって、音楽で四季といえばイタリアの作曲家ヴィヴァルディの協奏曲が思い浮かびます。その協奏曲が四季の名で知られるのは4つの曲に春・夏・秋・冬の順番で題がついているからです。ですから、ヨーロッパにおいても年のはじまりと季節の開始とはかならずしも一致するものではありません。

それはともかく、季節の「化身」のように描かれた女性たちは独特のポーズをとっています。冬の乙女は地味な防寒着に身をつつみ、寒さにこごえ、動きがありません。春の乙女は長い髪を春風にたなびかせ、腰をくの字に曲げて躍動的です。視線を落とし、両手を組み、あれもしたいこれもしたいと夢想しているかのようです。

夏の乙女はけだるそうにヒマワリのもとでまどろんでいるのでしょうか。秋の乙女はブドウなどの果物を持ちきれないほどかかえ、魅惑的なまなざしを見る者に向けています。乙女たちの足元や背景には鳥や花があしらわれ、雪化粧や紅葉も季節感をただよわせています。

1898年のカレンダー

マッソン社の1898年のカレンダーは一転、季節の四季は人生の四季、すなわち幼年期、青年期、壮年期、老年期に変貌します。女性と男性がペアで描かれていますが、女性はつねに美しい乙女であるのに対し、男性は4つのライフ・コースをたどっています。

西欧人にはなじみの「人生の4つの階段」の絵に呼応しているかのようです。幼児は胸に抱かれ、青年は祈りのポーズをとっています。

問題は筋骨隆々の壮年男性です。褐色の肌をもち、左手には石斧をにぎっています。いかにもメキシコを意識したイメージですが、ミュシャが何をモデルにしたかは不明です。ただメキシコ北部には「ララムリ」を自称し、ワラーチというサンダルを履き、木製のボールを蹴りながら山中をかけめぐって健脚を競い合う高地住民がいます。そのサンダルを革紐で脚に結びつけているようにみえますが、よく見るとサンダルではなく靴を履いています。他方、分けて編んだ頭髪を両胸まで垂らしている姿は北米の先住民族アパッチを想起させます。また、アパッチの男性は首飾りなどの装飾品を身につけます。
さらに、ガラガラヘビやサボテンの棘から足を守るために、モカシンという靴を履き、革紐で脚に縛り付けます。しかし、アパッチの勇猛な男性にもっとも特徴的な羽根の頭飾りは描かれていません。実は、ララムリの身体的特徴や風習はアパッチなどと共通すると言われていますので、ミュシャのイメージは意外に的はずれではなかったかもしれません。壮年期の男性像は謎めていますが、カカオの原産地のひとつ、メキシコを強く意識していたことはたしかです。そして最後の老齢期の男性は白くて長いひげを生やし、うらやましいことに乙女にかしずかれています。

ミュシャは秋が嫌い?

そのほかミュシャには「三季」と称する1896年の横位置の作品があります。そこには秋が描かれていません。ミュシャは秋を嫌っていたふしがあり、意図的に欠落させたのでしょう。しかし、同年に描いた縦位置の装飾パネル「四季」もあり、そちらが翌年のカレンダーの注文につながったのかもしれません。

[追記]
堺 アルフォンス・ミュシャ館では「カランドリエCalendrier—ミュシャと12の月展」(2021年3月27日~7月25日)を開催中です。「黄道十二宮」をはじめ四季や12の月に関するカレンダーが多数展示されています。

堺 アルフォンス・ミュシャ館
https://mucha.sakai-bunshin.com/

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