アール・ヌーヴォーを代表するアーティストの一人であるアルフォンス・ミュシャ。その出世作はフランスの大女優サラ・ベルナールに依頼された公演ポスター「ジスモンダ」です。しかし、ミュシャの数ある女性画のなかでも、もっとも異彩を放つ作品といえばリトグラフ(石版画)の「黄道十二宮」の右にでるものはないでしょう。横向きの女性は豪華なティアラを頭にかざり、流れるような長髪を前後にたなびかせています。胸元には首飾りがまばゆく輝いていて、エギゾチックな雰囲気を漂わせています。そしてイコン(東方正教の聖像画)の光背のようにその横顔を引き立てているのが黄道十二宮のシンボル図です。
ミュシャの「黄道十二宮」には上端と下端に横長の空白があります。そこに会社名と1年分のカレンダーを入れるようになっています。つまり、それは名入れカレンダーなのです。ですから、そのデザインとして黄道十二宮をもってきたのはきわめて適切であるし、それ以上にイコンを想起させる抜群のセンスにも感嘆せざるをえません。
黄道十二宮を描いた絵画としてすぐに思い出すのは『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』です(本コラム第88回参照)。世界でもっとも美しい本と称されるその時祷書には、背中合わせの女性のまわりに黄道十二宮を配した絵もあります。とはいえ、ミュシャがそこから発想を得たとは思いません。なぜなら、黄道十二宮は西洋占星術では基本中の基本だからです。そのため西洋占星術も、それに使われる黄道十二宮も、英語ではホロスコープと呼ばれています。
ホロスコープは黄道、すなわち天球上における太陽の通り道を12等分したもので、黄道帯、あるいは動物であらわされることが多いので獣帯と呼ばれています。英語名のゾディアック(zodiac)は「動物の円盤」という意味です。春分からはじまるサイクルで、おひつじ座、おうし座、ふたご座、かに座、しし座、おとめ座、てんびん座、さそり座、いて座、やぎ座、みずがめ座、うお座と続きます。古代メソポタミアに起源し、地中海を経てギリシャやローマに伝わり、ギリシャからさらにヘレニズムの時代にインドに伝えられました(本コラム第104回参照)。
ミュシャの「黄道十二宮」には女性の顔に隠れてうお座は描かれていませんし、おひつじ座も半分しか見えません。十二宮はあくまでも女性を引き立たせる背景として描かれています。そのような脇役は絵の四隅にも見出されます。上方には月桂樹が配され、下方には太陽と月が陣取っています。月桂樹は不滅のシンボルであり、太陽と月はそれぞれ昼と夜を表しています。そして太陽にはヒマワリ、月にはケシがあしらわれています。アール・ヌーヴォーのデザインには、動植物、とりわけ花や鳥などが好んで取り上げられました。
しかしながら、ミュシャの「黄道十二宮」でもっとも人目を引く主役は頭飾りや胸飾りです。芸術表象論を専門とする鶴岡真弓氏はミュシャの作品は「装飾的」というより「宝飾的」であると評し、彼のことを「イメージのジュエラー」と形容しています。さらに「豪奢な宝冠のようなティアラとビザンチン風首飾りは、その横顔とともに、ナダールが撮影したサラの横向きのアップ写真を彷彿(ほうふつ)とさせる」と指摘しています。サラとはサラ・ベルナールのことであり、パリの写真家ナダールが撮影した彼女の横顔がモデルになっていることを示唆しています。そして結論部分では、チェコ出身のミュシャを「東方(オリエント)という外部から来た人間」と位置づけ、「『宝飾』という装身具に、『東方・オリエント』を絶妙に託した」人物として再評価しています。
ミュシャの作風にはヨーロッパ人がいだくオリエント趣味やアール・ヌーヴォーの時代に先駆けておこったジャポニスム(日本趣味)の影響が陰に陽にみられます。多色刷り木版画の浮世絵も西洋のリトグラフも大衆向けのアート作品であることが共通しています。また浮世絵のルーツには大小暦があり(本コラム第40回参照)、のちに名入れの引札暦に継承されました。「黄道十二宮」も名入れカレンダーとして制作されたように、東西の共通点にも目を向ける必要がありそうです。
【参考文献】
鶴岡真弓「ミュシャ・ジュエリーの『東方(オリエント)』—サラ・ベルナール、ナダール、万博の「テオドラ」を原点に」『ユリイカ』(アルフォンス・ミュシャ―没後70年記念特集)2009年9月号、青土社、131-146頁。
<展示情報>
堺 アルフォンス・ミュシャ館では「カランドリエCalendrier—ミュシャと12の月展」(2021年3月27日~7月25日)が開催中です。「黄道十二宮」をはじめ四季や12の月に関するカレンダーが多数展示されています。
堺 アルフォンス・ミュシャ館
https://mucha.sakai-bunshin.com/