こよみの学校

第185回 社日 ―土地神をまつる日

社日とは?

社日(しゃにち)は雑節のひとつです。雑節とは二十四節気と五節句(人日、上巳、端午、七夕、重陽)以外の季節の移り変わりを示す暦日のことです。ふつうは節分、社日、彼岸、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日の9つです。社日は年2回あり、春分と秋分にもっとも近い戊(つちのえ)の日と決まっています。ただし、前後が同日数の場合は、前の戊の日のほうをとります。そして春の社日を春社とよび、豊穣を祈願し、秋のそれを秋社とよんで収穫に感謝します。

戊は五行説では土です。また「社」は中国では土地の神を意味しています。もともとは集落の中心に建てた石や木の標示物がのちに土地神になったとされています。「社稷(しゃしょく)」という熟語がありますが、「稷」とは禾(のぎ)偏から連想されるように穀物の神を意味しています。したがって、社稷とは土地神と穀物神をまつることをさし、方形の社稷壇をもうけ、皇帝が五穀の豊穣と国家の平安を祈りました。そのため社稷と言えば、後には国家の祭祀を意味するようになりました。

中国伝来、日本ならではの信仰から生まれた日

雑節の多くは入梅にしろ二百十日にしろ日本の風土から生まれたものですが、社日は中国伝来です。しかしながら、日本の神観念や慣習と結びつき、日本的な変容をとげました。たとえば地神(じがみ)がその一例です。地神は屋敷神として宅地の一隅にまつられています。チジン、ジシンと音読みにする場合もあれば、ジガミ、ジノカミなどと訓読みにすることもあります。土地神と作神(農業神)の性格をもち、関東では各地に地神講がつくられ、春秋の社日に祭りをおこなっていました。社日講とよぶところもあります。

地神講や社日講の祭りをおこなうところから、社日には地面をいじらないとか、戸外で仕事をしないとかのタブーがあります。農具や土地を休める日という言い方もしました。また、山梨県や静岡県には社日詣(もうで)と称して、老人たちが近隣の七つの石鳥居のある神社に連れだって参詣する風習もありました。中風(ちゅうぶう)や粗相(そそう)を避ける目的でした。福岡県には社日潮斎(しおい)といって、春秋の社日に海から海水や砂をとってきて、屋敷を清める習俗もありました。

春と秋の社日が対になっているところから、田の神が春社に来て秋社に帰るという伝承も各地に伝えられていました。南部の絵暦にはツバメの去来で春と秋の社日を示すという工夫もみられました。春の社日は種籾を浸す目安とし、秋の社日には種籾の調整をする日としていたところもありました。

社日と暦の歴史

社日は漢文の具注暦には記載されましたが、仮名暦では載せていないものも多く存在します。渋川春海のつくった貞享暦(1685年から施行)以降は、冒頭に述べた原則に従い、社日が記載されるようになりました。明治改暦のときもいわゆる迷信的暦注とは区別されて残りました。しかし、現在の国立天文台編の『理科年表』に雑節として掲載されているのは、土用(年4回)、節分、彼岸(年2回)、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日の7種類です。社日は二百二十日とともに脱落してしまいました。

わたしが社日や地神について最初に調査したのは北海道でした。北海道開拓に関係の深い神仏といえば、まず馬頭観音と地神をあげることができます。開墾の苦労をともにした馬と土地の神としての地神です。いずれも神社の境内などに石碑や石塔が建てられています。地神には地鎮の字をあてたものもあります。開拓者たちの発意によるもので、いわゆる民間信仰にもとづいています。内地の民間信仰の多くは北の大地に到達しませんでしたが、馬頭観音と地神の信仰は開拓と強く結びついて人びとと共に渡道したのです。

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