国際婦人デーは国際女性デーとも言われ、英語ではInternational Women’s Dayと称しています。1909年の2月28日、ニューヨークで女性労働者が婦人参政権を要求してデモ行進をおこなったことに由来しています。その後、1910年にコペンハーゲンで開催された第2回国際社会主義者婦人会議で「女性の政治的自由と平等のために闘う」記念日として決議されました。
翌年の3月19日、オーストリアやデンマーク、ドイツ、スイスで初めて実施され、100万人を超える参加をみました。他方、アメリカでは2月の最終日曜日に開かれていました。3月8日となったのは1914年のドイツからで、その日が日曜日であったことによるらしく、それ以降、各地で女性たちの集会がその日に開催されるようになりました。
ロシアでは1913年にユリウス暦の2月最終土曜日に祝われました。そして1917年のロシア革命を迎えます。ユリウス暦の2月23日(グレゴリオ暦の3月8日)、首都ペトログラードでの国際婦人デーにおけるデモがふくれあがり、軍隊の反乱を誘発し、皇帝退位にまで発展しました。いわゆる2月革命です。その後、10月革命を経てソビエト連邦が成立しました。
ソ連では婦人労働者によるデモから革命が成就したことから、3月8日の国際婦人デーは革命記念日(11月7日)やメーデー(5月1日)にならぶ重要な記念日となりました。とはいえ、1965年までは休日ではなく労働にいそしむ日だったそうです。
国連は1975年を国際婦人年と定め、社会主義運動のなかから生まれた国際婦人デーを祝うようになりました。1977年には国連総会で3月8日を「女性の権利と世界平和のための国連デー」に指定しました。
旧ソ連の社会主義体制は1991年に解体しましたが、国際婦人デーも次第に政治色を失い、かわりに男性が女性を大切にする日という意味合いが強くなりました。男性から恋人や妻に花束を贈るとか、男性が家事を肩代わりするとか、バレンタインデーにも似た性格を帯びてきました。女性たちは掃除、洗濯をはじめ、料理とその後片付けなどから解放され、一年に一度、解放感を満喫できる日になっていったそうです。
ロシアでは労働の種類における男女差は小さいと言われています。重機や大型トラックを運転し、女性初の宇宙飛行士テレシコワさんもいるほどです。また、研究職も半数近くが女性のようです。
とはいえ、家事や育児は圧倒的に女性の負担となっていて、それでも日本ほど出生率が下がらなかったのは育児支援施設が整備されていたからだそうです。いずれにしろ、依然として男社会であることに変わりはなく、日本と同様、課題が多いということのようです。
他のヨーロッパ諸国は世界婦人デーをどのように祝っているのでしょうか。たとえばイタリアでは「ミモザの日」とよばれ、男性は恋人やパートナーだけでなく、母親や祖母、友人や仕事仲間など、大切に思う女性たちに季節の花であるミモザを贈る習慣があります。これは第二次大戦直後、イタリアの女性連合が提唱したことに端を発しています。当初は多少高価なスミレも候補にあがっていましたが、貧富に関係なく誰でも贈ることができるという理由でミモザに決まったそうです。
ミモザはマメ科ネムノキ亜科アカシア属の花の総称です。黄色くて丸い小さな花が集まって咲くのが特徴です。開花期には木全体が黄色い雲のようになり、南仏では「冬の太陽」とよばれています。花言葉は「感謝」です。
最近、日本でも「国際女性デー」と銘打ったイベントがポツポツおこなわれるようになりました。ミモザの花もプレゼントに使われはじめています。その行く末を注意深く見まもっていきたいと思っています。
【参考文献】
佐々木史郎「ロシアの国際婦人デー」『月刊みんぱく』2012年3月号、国立民族学博物館、20-21頁。