こよみの学校

第183回 月切りと節切り―暦月と節月

 

月であらわす「月切り」二十四節気であらわす「節切り」

明治5(1872)年まで使われていた旧暦では「月切(つきぎ)り」と「節切(せつぎ)り」という二つの方法で年月日をあらわしていました。月切りは新月から満月を経てふたたび新月がくる朔望月の1ヵ月ですから、朔日(ついたち)から晦日(みそか)までです。
晦日といっても陰暦ですから30日とは限りません。29日の時もあります。大晦日は1年の最後の日ですが、12月29日という場合もあったのです。大晦日の翌日が正月1日、すなわち元日です。

他方、節切りは二十四節気にもとづき、立春から新年がはじまります。立春の前日が節分ですから、それが節切りのいわば年越しの日にあたります。豆まきをして鬼を追い出すのは新年を迎えるためなのです。そして立春から雨水を経て啓蟄の前日までが節切りの正月となります。

月切りでかぞえるひと月を暦月といいます。それに対し、節切りのほうは節月と称します。月切りには暦月、節切りには節月が対応しています。今年の旧暦正月の場合、暦月のほうは2月12日にはじまり3月12日に終わる29日間です。他方、節月の第1月は「正月節」といい、2月3日から3月4日までの30日間です。

旧暦の春夏秋冬

春夏秋冬の季節にも月切りと節切りの二種類があります。月切りの春は旧暦の正月から三月までの三ヵ月です。以下、四月から六月が夏、七月から九月が秋、十月から十二月が冬となります。その三ヵ月を初・中・晩の三つに分け、初春・中春・晩春(三春)などとよびます。たとえば「中秋の名月」というのは秋の真ん中の暦月である旧暦八月の満月のことをさします。

他方、節切りの春夏秋冬は二十四節気にもとづいて決まります。春は立春から立夏の前日まで、夏は立夏から立秋の前日までです。秋は立秋から立冬の前日まで、冬は立冬から立春の前日、つまりいわゆる節分までです。「こよみの上では秋になりました」などと報じるのは節切りの春夏秋冬です。俳句の季語も基本的に節切りの春夏秋冬にもとづいています。

暦注での「月切り」と「節切り」

次に暦注とよばれる日の吉凶に関しても月切りと節切りがあることに目を向けたいと思います。まず月切りの日の吉凶としては六曜(ろくよう)が有名です。六輝(ろっき)とも言いますが、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口とならぶ暦注のことです。

旧暦の正月は先勝からはじまり、二月は友引、三月は先負からの開始です。したがって、旧暦の元日は先勝、正月二日は友引、正月三日は先負、正月四日は仏滅、正月五日は大安、正月六日は赤口と規則的に配されます。旧暦時代には何の面白味もない暦注でしたので、暦には記載されませんでした。

ところが、新暦への改暦がなされると、旧暦の月替わりが新暦の暦月の途中に突然起こるので、不思議がられたのです。六曜が暦に載るようになったのは明治の中頃からでした。

他方、節切りの節月はもっぱら運勢学でつかわれています。閏月がないので、簡便と言えば簡便です。月切りには19年に7回閏月が入るため、占いには向いていません。六曜を別として、ほとんどの暦注は節月をもとに日を選んでいます。言い換えると、運勢鑑定は月の満ち欠けとは関係なく、二十四節気をもっぱら基準にしているのです。

そもそも二十四節気って?

二十四節気は一太陽年を24等分して割り出す方法で、紀元前数世紀前の中国で成立しました。二十四節気は長い間、一太陽年の時間を24等分していました。

しかし太陽を回る地球の軌道が円ではなく楕円形で、移動速度が一定でないことがわかってからは、360度を24等分する方法に切り替えられました。いわば空間を分割しているのです。春分が0度で立春が315度であることは本コラム181回で説明したので、ここでは繰り返しません。

旧暦は廃止されましたが、月切りの暦月は中秋の名月や六曜に引き継がれ、節切りは二十四節気とそれにもとづく季語や運勢鑑定につかわれているのです。

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