こよみの学校

第179回 十二直④ー破(神無月)、定(霜月)、取(極月)

冬の十二直

旧暦の冬は月切りで10月(神無月)、11月(霜月)、12月(極月、師走)ですが、節切りでは立冬から立春の前日までとなります。立春の前日は節分です。ほんとうは節分は年に4回あるのですが、立春の時だけ鬼の追儺(ついな)をともなって重視されるようになりました。見立十二直での配当は破(やぶる)が10月、定(さだん)が11月、取/執(とる)が12月となっています。

10月の和名は神無月(かみなしづき、かんなづき)です。この月に、神々はみな会議のために出雲に行っているので、地元には神がいないという意味です。逆に、出雲では神在月(かみありづき)と言います。二十日夷(はつかえびす)と称して夷講がおこなわれるのは、エビスだけは留守居をするという伝承にもとづいています。表題の絵にはエビスが祀られ、御神酒やゆかりの鯛が供えられています。

十二直の破(やぶる)はものごとがととのわなくて、相談事もやぶらざるをえないような縁起の悪い日です。夷講の当てが外れて、とあるのは富くじに当たらなかったからでしょうか。約束の文の返事を書きつけたえびす紙(紙を重ねて裁つとき、角が折れ込んで裁ち残しのある紙)は鼠にかじられたわけでもないのに塵となる。

鼠と関係が深い大黒ではないので、それももっともである。たしかに大黒は米俵の上に座っている姿をとり、米を食いあらす鼠とは縁があります。茶碗に注いでひっかけるあおっきり(筒茶碗の口に引いた青い筋。また、そのような茶碗の青切)はこれも禁酒を破るものである。和歌がそれに続きます。神はみな出雲へ立っている。立ち残り(裁ち残りのしゃれ)たる神の名は恵比寿である。絵に目を転じてみましょう。塵となる破れた紙を見つめる女性は青切の筒茶碗をあおろうとし、膝もとにはお銚子と酒樽が描かれています。

さだんとは定(さだむ)という意味で、物事を取り結ぶ日である。それで猿若町は霜月恒例の歌舞伎の顔見世に来る座組を定め、嫁取婿取の婚儀、つまり婚礼を定める霜月(秋の収穫が終わった時期)に見立てている。両方で音をよく反響させる鸚鵡石のように、嫁や婿をやりとりする双方でめでたしという祝言の席。石(せき)と席の韻を踏んでいるところもしゃれています。

表題の絵には顔見世に出演する役者の幟が描かれていて、坂東亀三郎、中むら芝翫丈、沢村田之助が人気役者だったことがわかります。他方、女性が見つめるのは婚儀の酒樽と鰹節のしめ飾りです。鰹節は「雄節」と「雌節」がぴったり合わさっていることから「夫婦の象徴」とされる縁起のいいものです。

また「勝男武士」の字を当て、江戸時代にはもてはやされました。さらに鰹節自体が末永く長持ちするという意味でもありがたい品物でした。他方、女性の右手と足もとにはお歯黒の道具が描かれています。江戸時代以前には信長や秀吉などの武士もお歯黒をしていたとされますが、江戸時代には都市部の婦人たちの慣習となり、嫁入道具として定着していきました。

執は万物を執ったり断ったりすることのすべてにふさわしい日です。新玉の春を迎えるために煤を取り、商売では掛け売りの代金を取り、節分には歳をとる師走にたとえられます。和歌の意は、頭巾を脱いで節分に食べる豆の数で年齢がばれてしまうということです。

節分と旧正月は時期的には近く、月切りで歳をとる数え方と節切りで年齢がばれてしまうことを理解して、はじめてしゃれの意味が通じます。絵のほうは餅つきの様子を描いています。枝に餅をつけた餅花は農村ではふつう小正月(正月15日)の豊作祈願の祝いにつくられますが、都会の江戸では大正月(元日)に合流するようになっていました。

 

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