こよみの学校

第176回 十二直③ー 除(文月)、満(葉月)、閉(長月)

 

秋の十二直

旧暦の秋は月切りで7月、8月、9月となります。8月が中秋で、その15日が「中秋の名月」であることは言うまでもありません。伊勢暦の当て字である意勢固世身の見立十二直は除(のぞく、7月、文月)、満(みつ、8月、葉月)、閉(とづ、9月、長月)です。どういうしゃれた見立てになるのか、まずは7月(文月)からみてみましょう。

晒井(ゐとがへ)とは井戸の底にたまったものをさらうことです。浚渫(しゅんせつ)の二つの漢字はいずれも「さらう」(浚う、渫う)と読みます。それが、ここでは晒(さら)すの字が当てられています。晒井(さらしい)とも井戸替えともいい、水を汲み上げて、掃除をすることから除(のぞく)に見立てられているのです。しかも、近世においては7月7日におこなう慣習がありました。というのも、井戸は地底の世界に通じる入口とかんがえられ、お盆を前に死者の通り道を整備する意味があったからです。錦絵を見ると、下駄を履いた女性が玄蕃(火事用水の桶)をのぞいています。玄蕃桶の底にたまった水に濡れないように下駄を履いて簪(かんざし)をさがしたのでしょうか。歌の「ふたほしあひ」とは七夕に出会う牽牛星(彦星)と織女星(織姫星)のことをさしています。戸を二枚、横に重ねているのは出会いを意味するのでしょう。なお、滑稽者流とか川柳風とか、見立てをユーモアやペーソスたとえているのも味があります。また、域というのも段階や境地を指しているようで、意外に粋とかけているのかもしれません。

中秋の名月ですが、明月とも書き、清く澄みわたった月にほかなりません。満月でもあるので、十二直の満(みつ)に見立てているのです。と同時に、ここでは三味線にたとえて満(みつ)と三つをかけています。また、酒宴の興が満つることも引き合いに出しています。絵に描かれた女性は芸者と思われ、口をかけられて、帯を締め、支度をしているところのようです。提灯を持つ女性は夜道の先導役をはたすのでしょう。

閉(とず)は綴(とじ)るのこじつけだという。新しい浄瑠璃本も欠本のある端本(はほん)としておくよりも、一緒に綴じておくとなくならないとお師匠さんは親切に教えてくれるが、9月との関係はどうなのかと問う。すると浄瑠璃をきく月だと答えたとか。この「きく」は聴くと菊をかけているところが洒落になっています。なぜなら9月は菊月ともいい、9月9日の重陽は「菊の節供」という美称をもっているからです。錦絵にも黄金や白銀に見立てた鉢植えの菊が描かれています。なお、神明祭との関連で生姜(しょうが)の絵が添えられているのは、「関東のお伊勢さま」「芝の新明さま」として知られる芝大神宮の9月の祭りに近隣でとれた生姜が長寿を願う縁起物としてさかんに売られたからです。

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