先回、ブラジルの天理教カレンダーにRDという立教を表わすポルトガル語の頭文字が使われていることに言及しました。これは立教紀元とでも言うべき独特の紀年法です。このような紀年法は天理教に限ったことではありません。山口県の田布施に本部を置く天照皇大神宮教でも戦後の昭和21(1946)年を紀元元年とする「神の国の紀元」を用いています。そこには、この世の戦争には負けたが、「神の国」建設という新たな戦争がはじまったという教祖の強い信念が込められています。オウム真理教も「真理元年」という表現を使ったことがありました。
世俗的な事業をおこなっている会社にも創業を紀元とする紀年法が存在します。その代表は松下電器(現、パナソニック)の「命知」でしょう。使命を知るという意味ですが、創業者の松下幸之助が昭和7(1932)年、5月5日を創業記念日と定め、社員を全員集め、産業人の使命は生産活動を通じて水道水のように製品を供給し、貧乏を克服することにあると力説しました。そして、この年を命知元年と定めたのです。
この演説に先立つ2ヵ月前、幸之助氏は3月の初旬に天理教信者の取引先であるU氏に誘われて親里とよばれる天理教本部を訪問しています。朝8時頃から夕暮れまで、U氏の熱心な説明を受けながら、神殿はもとより教祖墓地や製材所までさまざまな施設をめぐり歩きました。その間、土持ちひのきしんという一種の報恩活動(日の寄進)を目に焼き付け、会社の仕事を聖なる事業に位置づける使命観を感じ取ったのです。
ここまでは経営学者などには比較的よく知られているエピソードですが、最近刊行された『命知と天理―青年実業家・松下幸之助は何を見たのか』によると、幸之助氏はもっと強く天理教の教理や儀礼、組織や刊行物、また教育や福利厚生などの影響を受けたのではないかと指摘されています。たとえば松下電器の特徴と言われる「事業部制・分社制」と天理教の「本部―大教会―分教会」という独立採算制の組織編成、また社内の「朝会・夕会」と教団の「朝勤(あさづとめ)・夕勤(ゆうづとめ)」との類似です。さらに「目標達成に期限を区切ること」も「教祖年祭(おやさまねんさい)」に似ていると言うのです。
幸之助氏は命知元年を宣言したとき、使命到達期間として250年を設定しました。さらに、それを10で割り、1節を25年としました。その25年をまた3期に分け、最初の10年を「建設時代」、次の10年を「活動時代」、残りの5年を「貢献時代」としたのです。このような「目標達成に期限を区切ること」は、天理教においては教祖の没後、10年毎に執りおこなわれる「教祖年祭」によく似ています。そこでは教団の重点目標が設定され、全教あげて取り組んできた歴史があります。幸之助氏が教団本部を訪問したときは、「教祖50年祭」を4年後にひかえ、その翌年には「立教100年」があり、「昭和普請」と称される教祖殿や南礼拝場などの大々的な建設に邁進していた時期でした。その具体的なあらわれが土持ちひのきしんであり、製材所の活気でした。
ところで、今年はコロナ禍でオンライン元年がもてはやされています。「オンラインデモクラシー元年」、「オンライン学習元年」、「オンライン就活元年」といった具合です。そして、ついに「オンライン元年」を特集する雑誌まであらわれました。かつて阪神淡路大震災の1995年は「インターネット元年」とよばれました。インターネット元年にしろ、オンライン元年にしろ、大災害時に新しい情報伝達手段が脚光を浴びるようです。天理教の表現を借りると、「節(ふし)から芽が出る」ということになるでしょうか。困難や苦悩に直面したときこそ、新しい芽が出るという逆転の発想です。実際、天理教では教祖年祭のことを「節(ふし)」とも称しています。こちらは竹の節のような、10年刻みの節目を意味しています。こよみの用語でもある「元年」や「節」は広い裾野をもっているようです。
【参考文献】
住原則也『命知と天理―青年実業家・松下幸之助は何を見たのか』道友社、2020年。
『Works』161号、特集「オンライン元年」、リクルート、2020年。