こよみの学校

第170回 ブラジル移民史と聖句対応のカレンダー

ブラジルへの移住

6月18日は「海外移住の日」です。1908年、781名の移民を乗せ、神戸を出航しブラジルに向かった移民船笠戸丸(かさとまる)がサントス港に到着した日を記念するものです。1966年、総理府(いまの内閣府)が制定し、国際協力事業団(いまの国際協力機構)が実施し、現在にいたっています。

ブラジルに渡った日本人はおよそ25万人を数え、日系人口は現在200万人と推定されています。ブラジルはアメリカと並び、海外最大の日系人コミュニティを形成しています。また、1990年代に急増したいわゆる「デカセギ」のなかでも群をぬいているのがブラジルからの人びとです。

2008年、ブラジル日本移民の100周年を迎えました。記念行事とは別に、ブラジルでは百年史編纂の事業がはじまり、日本でも旧神戸移住センターの再整備に着手したりしました。そのなかで、カレンダーの世界においても注目すべき動きがみられました。

ブラジル移民100周年のカレンダー

というのも、カトリックの日伯司牧協会がブラジル移民100周年に向けて2006年にひとつのカレンダーを発行したからです。それはサンパウロの東洋人街リベルダージで13レアル(約780円)で売られていました。ふんだんに使われている写真はブラジル日本移民史料館から借用したものです。わたしの目をひいたのは、移民史に焦点を合わせたメッセージが日本語とポルトガル語で盛りこまれていたことです。レオナルド・マツオ日伯司牧協会会長はこう述べています。

「ブラジルへの日本移民百年(2008年)に先立って、今年は古い写真を見ながら、年間を通じてブラジルへの移民の旅を追って見たいと思います。コーヒー農園での労働、原始林の伐採、植民地、学校、…等など。私たちの先駆者たちの歴史に基づきながら、各頁に聖書の言葉を日伯両語で掲げました」

どの教団も、どの日系団体も、100周年の2年前には移民百年を記念するカレンダーを発行していませんでした。そのため、目立ちもし、評判もすこぶる良いものでした。とりわけ、月を追うごとに移民の歴史をたどれるように工夫したこと、またそれに対応して聖句が選ばれていることに感銘しました。たとえば1月は次のようになっています。

 

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< 一月 > 1908年6月18日、かさと丸は最初の移民781名と共にサントスに入港した。長い二ヶ月の航海中、単調な生活の中で子供たちの初等教育も行なわれた。下船してから汽車でサン・パウロの移民収容所に向かい、そこでコーヒー農園への配耕を待った。

< 聖句 > あなたは生まれた故郷を離れて私が示す地に行きなさい。(創世記12:1)

* * * * *

日本人移民史と聖句を対応させることにより、歴史体験の宗教的理解をねらっていることがうかがえます。言い換えれば、ブラジル移住が宗教的レトリックで再解釈されているのです。ちなみに、二月と十二月は次のとおりです。

 

* * * * *

< 二月 > 短期に財を成して、故郷に錦を飾るという最初の夢はコーヒー農園での苛酷な労働の中で次第に消えて行った。

< 聖句 > 広々とした素晴らしい土地 乳と蜜の流れる土地に導く。(出エジプト30:8)

 

< 十二月 > この土地は「植えれば何でもできる。」キャベツ、ジャガイモ、バナナ、平和も兄弟愛も・・・住み良いところだ!

< 聖句 > 私の造る新しい天と新しい地が私の前に永く続くように。(イザヤ66:22)

* * * * *

日本人移民のブラジル移住、コーヒー農園での契約労働、みずからの力による植民地の建設、綿の収穫、新しい家庭のいとなみ、スポーツ、日本人会館や日本語学校の設立、天皇誕生日の祝賀会、映画や皇族のブラジル訪問による日本との絆の確認等々。これらのトピックが歴史的系列でならび、移住先の讃美で締めくくられています。古いセピア色の写真が喚起する追憶のイメージ、移民史の流れ、そしてそれを聖句とむすびつけて記憶させる製作者の意図がうかがわれます。移民史の解説に宗教色はなく、皇室へのおもいを含めひろく移住者一般の心情と通じるものがあります。しかも、聖句を引用することにより、移住体験に聖なる意味が付与され、定住に祝福があたえられているのです。優れもののカレンダーといっていいと思いました。

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