こよみの学校

第168回 異界の暦―浦島太郎と玉手箱

異界に足を踏み入れた人間がどれほどいるか知りませんが、神話や伝説の人物としてはイザナギや「おむすびころりん」のおじいさんがいます。イザナギは亡妻イザナミをもとめて黄泉(よみ)の国に行き、おむすびを追いかけて穴に落ちたおじいさんは鼠の浄土を体験してきました。しかし、もっと有名なのは浦島太郎かもしれません。

昔ばなし「浦島太郎」

浦島伝説は『日本書紀』や『万葉集』にもあり、船に乗って「常世」(とこよ)または「蓬莱」(ほうらい)を訪れています。そこには道教や神仙思想の影響が強くみられ、亀に乗って行ったり、竜宮城で暮らしたりはしていません。とはいえ、不老不死の蓬莱山が「亀の都」といわれたり、図像では蓬莱山が亀の背に乗っていたりしますので、亀との深い関係があります。ところが、時代がくだって中世や近世初期の御伽草子(おとぎぞうし)になると、釣り上げた亀を海に返してやった翌日、美女を一人乗せた小舟が浦島のもとにきます。そして、故国に送ってほしいと助けを求め、不憫(ふびん)に思った浦島が10日をかけて送り届けるという物語に変わっています。さらに、江戸中期から明治になると、唱歌にあるように「助けた亀に連れられて竜宮城へ来てみれば」というように変化しました。

竜宮城はふつう唐様(からよう)の竜宮門でイメージされています。それも17世紀の後半、和様から変わったそうです。乙姫様もほんらい和様であったものが、そのころ中国風の服装になりました。浦島太郎という名前もはじめは浦島子(うらしまのこ)でしたが、御伽草子のなかで浦島太郎に変わったようです。

玉手箱ってどんな箱?

玉手箱も例外ではありません。『万葉集』や『風土記』では玉匣(たまくしげ)とよばれていました。それは枕詞(まくらことば)としてもつかわれていました。玉手箱に変化したのは南北朝以降だそうです。玉は美称ですが、浦島が持ち帰った手箱とはどのようなものだったのでしょうか。これも多様なイメージがみられます。まず、蓋に七曜の模様が描かれているものがあります。七曜文といい、日・月と5つの惑星をあらわしたものです。竜宮で暮らした700年の歳月を「七曜」で暗示しているのでしょうか。波模様を描いた蓋もあり、こちらはいかにも海を象徴しています。箱の形状は四角いものもあれば、長方形もあります。森鴎外は八角の箱を想像しました。材質は木箱が一般的ですが、編み上げの箱もあります。また漆塗りもあれば、ガラスか貝殻で飾ったものもみられます。金属の縁取りをしているものまであります。

いよいよ玉手箱を開ける段となりますが、煙が立ちのぼることは共通しています。この煙は亀の口から吐きだされる息のような絵もあれば、巻貝の吐息とする絵もみられます。他方、御伽草子では亀が箱にたたんで入れたとしています。衣をたたむところからの発想ですが、ひょっとすると伊勢暦のような折りたたむ暦と関連しているのかもしれません。いずれにしても齢24、5だった浦島太郎は一気に老翁になってしまいます。乙姫様が300年の歳を玉手箱にしまっていたとする話もあれば、竜宮の3日はこの世の3年、竜宮の3年はこの世の300年とする説明もあります。一風変わったところでは、蓬莱から帰郷したら知る人もなく、340年あまり経ていたとする錦絵の詞書(ことばがき)もあります。そうかとおもうと、『対馬民謡集』にはめでたいもののたとえとして、「鶴は千年、亀は万年、…浦島太郎は9000歳…」という厄払いの歌があるそうです。

御伽草子では、亀が形見としてあたえた箱を開けてしまい、たちまち700歳にもなった浦島太郎は鶴になって天空高く飛び上がり、後に丹波国に浦島の明神としてあらわれ、亀もおなじところにあらわれて、夫婦の明神なった、とハッピーエンドでおわっています。

 

【参考文献】
大島建彦(校注・訳)『御伽草子集』小学館、1974年。
林晃平『浦島伝説の展開』おうふう、2018年。

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