こよみの学校

第167回 冥界の暦―平将門と冥官暦

新型コロナウィルスが猛威をふるい、緊急事態宣言も延長され、目下われわれは非日常の世界に身をおいています。外出もままならぬ自粛を強いられ、曜日の感覚すら失いがちです。対面的な活動が減り、逆にテレワークやオンライン会議が激増しています。このような状態も少しだけ出口が見えてきましたが、まだまだ静かな日々をすごしています。

こんな時だからこそ、異常な時間の流れに身をまかせながら、現実とは異なる冥界や異界の暦に想いをはせてみるのも一興かもしれません。まずは冥界の暦を紹介しましょう。

冥界の暦とは?

仏教の教えによると、人は死ぬと次の生を受けるまで49日間、その魂は中有(ちゅうう)あるいは中陰(ちゅういん)をさまよいます。四十九日の法要はその期間が終わったことを示す儀礼です。しかし、異常な死をとげた人物の場合、そうはいかないことがあります。たとえば平安時代中期、東国で挙兵し「新皇(しんのう)」を名のった平将門(たいらのまさかど)は反天皇の王権を樹立しました。しかし合戦の際、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の放った矢がこめかみに刺さり、非業の死をとげました(秀郷ではなく平貞盛とする文献もあります)。天慶3年(940年)2月14日のことです。わずか60日ほどの天下でした。その首は京の都でさらされましたが、伝承によると東国に飛んで帰り、一説では大手町の首塚がそれを祀った場所とのことです。

『将門記』(しょうもんき)はいわゆる「将門の乱」を描いた軍記物ですが、その末尾に「冥界の消息」という将門の亡魂に関する短い記述があります。それによると、冥界には冥官暦という暦があって、この世の12年が冥界の1年、12ヵ月が1月、30日が1日とのことです。将門は生前に一つの善もおこなうことがなかったため、地獄で剣の林におかれたり、鉄囲いのなかで肝を焼かれたり、ひどい苦しみにあっています。しかし、生前に一部だけ書写した金光明経の功徳(くどく)によって、1ヵ月のうちに一時(いっとき)だけ休みが与えられています。また、冥官暦で7年あまり、この世の暦で92年たつと、さしもの地獄の苦痛からも逃れることができると書いてあります。

実はもっと長い?地獄の時間

「冥界の消息」には「天慶三年六月中記文」という日付がついています。将門の死後4ヵ月にあたりますが、これを『将門記』全体の日付とみるか、「冥界の消息」を追記した日とみるか、意見の分かれるところです。また、「冥界の消息」にはさらなる加筆もあって、それも考慮しなくてはなりません。なぜなら、そこには地獄の苦しみは92年ではなく93年にわたると書かれているからです。

なぜ92年や93年なのでしょうか。『将門記』にその理由は書いてありません。将門の謀反は冥官暦でも7年あまりの重い罰に値するということですが、それはこの世の七回忌を想定してのことでしょうか。

他方、興味深い史実があります。将門のいとこの子である平忠常が長元4年(1031年)に房総地方で反乱を起こしています。これは将門の死から92年目にあたります。数えでは93年です。「冥界の消息」に加筆された部分は、「忠常の乱」から「将門の乱」をふりかえって記したと考えることもできます。

将門についてはその後もさまざまな伝説が生まれました。また山東京伝や滝沢馬琴の作品にもとりあげられました。歌舞伎や浄瑠璃、狂言の演目にもいろいろなかたちで登場しています。「冥界の消息」はそのはしりといっても過言ではありません。

【参考文献】
樋口州男『将門伝説の歴史』吉川弘文館、2015年、47-49頁。
宮田登『日和見―日本王権論の試み』平凡社、1992年、122頁。

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