早稲田大学は「都の西北」の校歌で知られ、慶応義塾大学と並び称される「私学の雄(ゆう)」です。創立者は明治の政治家、大隈重信です。大隈は明治改暦を断行した立役者であり、かたや太陽暦の解説本『改暦辨』をいちはやく刊行したのが慶應義塾の創設者、福澤諭吉です。しかも、改暦の日にあわせて刊行し、大もうけにつなげました。明治改暦に関するかぎり、二人はライバルではなく、はからずも官と民をそれぞれ代表して相互補完的な役割を果たしたと言えるかもしれません。もちろん、忖度(そんたく)や癒着(ゆちゃく)とはまったく関係ありません。
しかしながら、暦にかかわる現状を見ると、早稲田大学が2種類のカレンダーを発行しているのに対し、慶応大学にはオリジナル・カレンダーはないようです。だからといって慶応大学が特殊というわけではなく、東京六大学で早稲田以外では立教大学がネットでヒットするにすぎません。関西の「私学の雄」は関関同立(関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学)ですが、カレンダーをオリジナルグッズとして用意しているのは関西学院大学くらいです。他方、国立大学では旧七帝大を含め、管見のかぎり、カレンダーは影も形もありません。もちろん、各大学には「学年暦」と称する年間スケジュールは存在します。ここで問題としているのは、あくまでも壁掛けや卓上のカレンダーです。
早稲田大学を名実ともに代表するカレンダーはA4版の壁掛けタイプです。二つ折りですが、表紙は縦位置で、実際に壁に掛けるときは横位置になるめずらしい形です。表紙をめくると日本語と英語が目に飛び込んできます。日英表記はいかにも大学らしい風情をただよわせています。日にちの欄には国民の祝日の情報しか載せていません。学年暦も創立記念日もないシンプルなものです。学生以外の利用者を想定しているからにちがいありません。そのことによって大学が所蔵する逸品をえらび、その写真を掲載して、「開かれた大学」を演出しているのでしょうか。とくに、2つの博物館が素材を提供していることが注目されます。
ひとつは坪内博士記念演劇博物館であり、もうひとつは會津八一記念博物館です。前者は明治の演劇界に新風を吹き込んだ坪内逍遙の古希を祝して1928年に設立されました。あわせて坪内が翻訳した「シェークスピヤ全集」全40巻の完成も記念していました。建物自体もエリザベス朝時代の劇場様式を模したものです。後者は東洋美術史学の會津八一が収集した資料をもとに1998年に創設されました。主に近代日本美術や東洋美術のコレクションが収蔵されています。
2020年のカレンダーには演劇博物館から5点、會津八一記念博物館からは4点の画像提供がみられます。たとえば、前者からは京マチ子がアラン・ドロンと会ったときに着用した和服が、後者からは黄檗宗をひらいた隠元の墨書「獅子吼」が選ばれています。博物館以外にも図書館と大学史資料センターの所蔵品もあります。1936年のベルリン・オリンピックの棒高跳びで銀と銅を分け合った西田修平(銀)と大江季雄(銅)のそれぞれのメダル半分をつなぎ合わせた「友情のメダル」です。
早稲田大学カレンダーには図書館などの収蔵品も含まれますが、正真正銘のミュージアム・カレンダーも存在します。それは「演博」の愛称で知られる坪内博士記念演劇博物館のものです。縦長の卓上タイプで、すべて浮世絵で統一されていますが、2020年版は初代国貞と初代豊国で仲良く分け合っています。
最後に、愛校心をくすぐる絵画が表紙裏を飾っていることを指摘しておきたいとおもいます。會津八一記念博物館の館長である藪野健氏の筆になるキャンパスの風景画です。2013年版では大隈記念講堂が、2020年版では大正初めの正門がとりあげられています。「私学の雄」は世間に門戸を開きながら、愛着系でしっかりまとめていました。