こよみの学校

上海万博の中国館をかざった暦 ―清明上河図と現代カレンダー

上海万博の中国館をかざった暦 ―清明上河図と現代カレンダー

上海万博のカレンダー

上海万博のカレンダーは国立民族学博物館にも1点、収蔵されています。「世博有画 Drawings in EXPO 2010」との題がつき、「中国金山農民画原創」とあることから、農民画の絵師によって描かれた、来たる上海万博であることがわかります。中国の農民画運動は1950年代末からはじまり、全土に広がりましたが、上海近郊の金山は三大農民画の郷のひとつにかぞえられています。表紙の構図をみると万博会場の中国館と浦東地区のテレビ塔が描かれ、花火があがっています。これは10月分の絵画ですが、5月から10月までの万博開催期間はすべて中国館を中心とする会場風景にいろどられています。さらに、だめを押すように、中国館の外観イメージが表紙の四辺もかざっています。

上海万博のカレンダー 表紙

中国館は2010年の上海万博ではひときわ目立つ存在でした。1970年大阪万博の実質的シンボルが太陽の塔だとすれば、上海万博のそれはまぎれもなく中国館でした。逆ピラミッドのような赤い建物は人気も高く、早朝に入場整理券を確保しなければ、その日の見学はあきらめざるをえないほどでした。

デジタルで再現「清明上河図」

中国館の最大のお目当ては清明上河図のCG展示でした。清明上河図は北宋時代(960年~1127年)の首都、開封の清明節の様子を描いた絵画ですが、それをデジタル化し、長さ128m、高さ6.5mの大きさに引き伸ばしました。しかも、人物や動物、あるいは船などの乗り物を1000点あまりアニメーション化し、昼夜の区別をもうけ、15分ぐらいの間隔で切り替えていました。清明は二十四節気のひとつで4月4日、5日頃にあたります。中国では清明節は先祖祭祀の日になっていますが、春たけなわの時節における都の繁栄ぶりを描いたものです。

清明上河図

清明上河図の巨大インスタレーションを見た後、観客は現代の上海にいざなわれました。暦にかかわるところでは、家庭生活の変遷を実物資料で構成した展示がありました。そこでは1978年、1988年、1998年、2008年と、10年毎に家具や壁飾りを替えて時代の変化を追っていました。なぜ1978年かというと、おそらく同年にはじまった改革開放政策の意義を強調したかったからにちがいありません。上海はとくに家庭生活の近代化を牽引した都市でもありました。上海を例に「より良い都市、より良い暮らし」のテーマを演出したと言えるでしょう。そして当該年のカレンダーを壁に掛けることで、まさに「時代の証人」としての役割を担わせていました。

10年ごとに見る「上海の暮らし」

1978年のコーナーでは横長の壁掛けカレンダーの横に若い夫婦の顔写真が黒い額縁におさまっていました。1988年になると縦型のカレンダーの下にやはり縦長の冷蔵庫が置かれていました。卓上スタンドは78年の白熱灯から蛍光灯のそれに変わっていました。ミシンは相変わらず必需品でした。茶色の額縁には白いウェディング・ドレスを着た花嫁だけがおさまっています。その隣には家族の記念写真が15枚ほど額に入れられていました。まさに核家族化を如実に示すものでした。整理ダンスの上には小型のテレビも置かれていました、

つぎの1998年になると、テレビは薄型になり、ステレオを楽しむようになっています。パソコンも机上に置かれ、卓上電気スタンドはアーム型になっています。机の脇にはガラス窓のついた書棚が壁に立てかけられています。その隣に風景写真のカレンダーがありました。飾り棚もかなり立派になっています。書架と飾り棚をつなぐ棚には、洋装白装束の新郎新婦がおしゃれな白い額縁におさまっていました。

そして2008年のコーナーになると、リビング全体が応接セットとともに展示されていました。超薄型のテレビが壁面に据え付けられ、それに倍する大きさの抽象的な絵画が壁に飾られていました。書架はさらに豪華になり、ダイニング・テーブルもはなやかです。しかし、どこを探してもカレンダーは見つかりませんでした。もはやカレンダーで美的環境をととのえる必要がなくなったかのようでした。日にちを知るのも、携帯やスマホで事足りるような時代になったのかもしれません。

月ごとに見る
中牧ひろちか 吹田私立博物館館長 暦(こよみ)の学校
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