こよみの学校

第154回 2010年の上海万博カレンダー 意識改善のおふれ

第154回 2010年の上海万博カレンダー 意識改善のおふれ

2010年開催「上海万博」

2010年5月から10月までの半年間、上海万博が開催されました。中国にとっては2008年の北京オリンピックにつづく国際的イベントであり、新興国としては国威発揚の絶好の機会でもありました。1970年大阪万博の6420万人の入場者を越えることに最大の目標を定め、7300万人の数値を見事達成しました。といっても、日本の10倍以上の人口を有する国ですから、簡単に達成できそうなものですが、かなり必死でした。

大阪万博が高度成長を象徴する祭典であり、日本人のライフスタイルに多大な変容をもたらしたように、上海万博も中国の経済発展を牽引し、中国人の行動様式にさまざまな影響をおおぼしました。上海万博のテーマは「城市、請生活更美好Better City, Better Life(より良き都市、より良き生活)」でした。日本では万国博覧会(略称:万博)とよばれますが、中国では世界博覧会(略称:世博会、世博)として知られています。その万博は1994年から国威発揚や科学技術の発展を示す展示から世界が直面する課題の解決に向けた展示へと舵を切りました。2005年の愛知万博(愛・地球博)が「自然の叡智」をテーマに世界の環境問題の改善に取り組んだのもそのあらわれです。

上海は言うまでもなく東シナ海に面する港湾都市です。現在、2400万人以上の人口をかかえる中国第2の都市ですが、歴史的には19世紀以来、欧米列強や日本などの租界(外国人居留地)をもつ商業都市として発展しました。近年、浦東地区には近代的なビル群が建ち並び、急速な都市化に直面しており、都市問題を万博のテーマに掲げるにはふさわしい街に変貌しました。劣悪な環境下にあった旧市街から住民を郊外に移住させ、その跡地に万博会場を建設したのも「より良い都市」をめざしてのことでした。

上海で見つけたカレンダー

2009年から2011年にかけて、わたしは何回も上海を訪れ、万博そのものと、その前後のありようについて調査をおこないました。その頃、「城市、請生活更美好」の標語は街中に氾濫し、マスコットの海宝(ハイバオ)がいたるところで微笑んでいました。あるとき、わたしはひとつの卓上カレンダーを古書店で見つけました。そこには上海万博のロゴマークと海宝のキャラクターがあしらわれ、「微笑的城市 満意的您」(微笑みの都市、満足しているあなた)の文字がおどっていました。

目をひいたのは、毎月5日を窓口服務日、15日を環境清潔日、25日を公共秩序日と定め、その励行をうながしていたことです。上海にやってくる内外の観光客を意識してか、奥に引っ込んだままの冷たい客対応をやめ、窓口でのサービスにつとめ、ゴミを片付けたりして環境をととのえ、信号を守ったり、パジャマ姿で外出しないようにして、公共の秩序を維持するような運動がすすめられていたのです。

よく見ると、最下段に「紅口区商務委員会 紅口区迎世博600天行動窓口服務指揮弁公室」とあり、区の行政的指導であることがわかります。600天とは600日のことであり、万博(世博)を迎える600日間、委員会のもとにおかれた弁公室(事務管理部門)を拠点とし、キャンペーンを展開していたのです。

国際的マナーへの意識

虹口区が上海市のどこにあるか調べてみたところ、かつて日本の租界があったところでした。また、魯迅(ろじん)公園や魯迅記念館の所在地であることもわかりました。当時、日本の租界は「小東京」とよばれていました。ロサンゼルスの日本人町がLittle Tokyoの異名をもつのとおなじ感覚だったのでしょう。上海の「小東京」は東北大学に留学していた医学生魯迅が文学活動の拠点としていたところです。

1964年の東京オリンピックを前にして市民はたしか布団をベランダに干さないよう指導されました。同様に、上海市民も表通りに洗濯物を干さないようリフォームを強いられました。上海でも紅口区が特に国際的マナーに意識が高かったのは「小東京」のなせるわざだったのでしょうか。

 

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中牧ひろちか 吹田私立博物館館長 暦(こよみ)の学校
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