はじめて食べる茄子の味。はじめて食べるきゅうりの味。「初物は七十五日長生きする」といいますが、水気と香気を含んだ夏の野菜はことさら、みずみずしさが身に沁み渡って、命が延びるかのように感じます。
江戸の人々は競って初物を好みました。日常的に食べられる茄子やきゅうりも、ムリをしてでも買ったようです。旬の「最初のひと口」を大事にしていたのですから、初物ブームは季節に対する鋭敏な感覚で、その瞬間をしっかりと味わい享受する江戸っ子の心意気が嵩じていったものなのでしょう。
初物としてもっとも人気があったのは初鰹で、中村歌右衛門は三両で買い、大部屋の役者にふるまったエピソードはよく知られています。初鰹は庶民にも浸透し、 ? 「銭を噛むようだと刺し身女房喰ひ」 「褞袍(どてら)質においても初鰹」 ? などの川柳を読むと、質に入れてでも食べたがり、女房たちがお金を食べているようだと嘆いていたりする庶民の様子が伝わってきます。
二番目は初鮭、三番目は初茄子、四番目は初茸とされ、四大初物は江戸期を通じて不動だったようです。なかでも茄子は「一富士二鷹三茄子」と謳われるように駿河の特産品、縁起物として好まれ、魚は初鰹、野菜は茄子というほど、江戸時初期から「初なりの茄子」は献上品とされ、かなり珍重されていたようです。
この初物人気が「早出し」とよばれる野菜の促成栽培のきっかけとなりました。やがて江戸近郊でも盛んに作られるようになり、旧暦三月(現在の4月頃)には初茄子が供されたといいます。この促成栽培は現在の江東区砂町にあたる砂村が知られ、茄子、きゅうり、いんげん、ささげなどを高級料亭では、先取りして食べられるようになっていました。
八百善の「一両二分の茶漬け」に添えられる茄子やきゅうりは、そういう高価な野菜だったのでしょう。幕府はとんでもない高値で出回る初物と庶民の贅沢を禁じるため、度々、初物禁止令を出しましたが、あまり効果はなかったようです。
私たちの味覚の問題だけでなく、初物や初なりには、やはり特別な生命力が秘められているように感じます。いわばビールの一番搾り、紅茶のファーストフレッシュ、オリーブオイルのエキストラバージンのようなもので、濁りのない純粋な生気が漲っていることを、昔の人は自然な味わいの中で、明確に感じとってきたのでしょう。
全国にはさまざまな茄子の在来種があり、色も形もさまざまなものがあります。煮てよし、揚げてよし、炒めてよし、ぬか漬けよし、塩揉みするだけでも簡単に食べられる茄子。しかも野菜の中で、これほどつやつやと、美しい光沢に恵まれた野菜はありません。夏の宝石を見るかのような、不思議な気持ちになります。きゅうりやトマトも、夏の陽射しを浴びた野菜は綺麗で力強く感じます。
江戸初期には珍重された茄子は、江戸後期にはもっとも需要の高い庶民の野菜になり、茄子に限っては、終わり初物にも人気があったようです。秋なすは嫁に喰わすなは有名ですが、こんな川柳もあります。
二人して秋茄子を喰う仲のよさ(柳多留)
「いのちの味」を誰かと分かち合って食べることが人生最高のご馳走だとおもうのです。