和暦では早苗月に入りました。棚田の田植えにいってお世話になった農家の方に採りたての筍をいただきました。ゆがいて、焼いて、その新鮮な美味しさに、舌鼓を打ちました。
筍の旬は年に一度、本当に一瞬です。筍の文字は竹冠に旬ですから、まさに旬を代表する食材。それだけに有り難く、季節を感じることができるご馳走です。筍は誰かに見つけられて、傷つけないように注意深く掘りとられ、アクを抜いたり、手間をかけて食卓に並べられています。筍の味にはいつも明快な旬をいただく喜びと、人の手が加わった優しさがほのかな甘味に含まれているようにおもいます。
さまざまな草木が青葉の勢いをどんどん増していく中で、竹だけはその逆で、地中の筍を育てるために親竹たちは黄ばんで、葉を落とします。その姿から、日本人はこの季節を竹の秋と呼び、新しい竹が育って青葉がサワサワと涼しげに揺れる初秋を、竹の春と呼んできました。
旬は物事や食材の走りや最盛期を意味する言葉としてよく使われていますが、元々、十日単位の時間をあらわす言葉です。月の単位の中で、上旬、中旬、下旬と使われる場合も十日単位を意味します。筍は十日もすると若竹に成長してしまうので、まさに旬の文字があてはまります。節目を作りながら、まっすぐにのびるその強い生命力にあやかって、竹は節度としなやかな強さの象徴とされてきました。
ところで、和暦五月五日は薬日(くすりび)と呼ばれ、薬草を採取する日でした。民間薬として使えるさまざまな薬草や、染織に使う根を掘る好機とされていたのです。もっとも高貴な紫を染め出すムラサキの根も、この季節に採っていたようです。これから始まる梅雨の邪気を払う意味もあり、端午の節句に菖蒲やヨモギが用いられるのも、その名残りです。薬草は丸めて御簾にかけたり、腰に下げて歩くこともあり、薬玉は、続命縷(しょくめいる)と呼ばれました。長く垂らした糸には、命の永からんことを願う祈りがこめられているのです。
そして五日の正午に降る雨は、薬雨(くすりあめ)と呼ばれていました。その雨が竹の節に溜まった水を飲むと無病息災を得られると信じられ、その水で医薬を製すれば、特に薬効があるとされていたようです。竹には薬効成分がありますから、竹筒に溜まった清々しい自然界の水は邪を払うように感じられたのかもしれません。