新蕎麦の季節になりました。江戸時代、「江戸患い(えどわずらい)」と呼ばれた病気がありました。当初は将軍や上級武士だけが罹る病でしたが、やがて町人にも広がりました。町人も白米を食べるようになったためです。参勤交代の武士に身体の不調を訴える人が続出し、故郷へ戻ると自然に治ったことから「江戸患い」と呼ばれたのです。「江戸患い」はビタミンB(チアミン)不足による脚気で、蕎麦や麦飯を食べると治ることも知られるようになりました。江戸でうどんより蕎麦が定着したのはそのためです。
江戸の飲食店の半数は、蕎麦屋でした。それほど人気があったのでしょう。武家では脚気の出やすい夏に麦飯をふるまう風習もありました。昔の人が一汁一菜で健康を保てたのは、精製しない玄米や雑穀に含まれた豊富なミネラルやビタミンのおかげだったのです。フランスのブルターニュ地方では小麦が育たなかったためにそば粉を主食とし、パンの替わりにそば粉を使ったクレープ、ガレットが郷土食として知られています。
いずれにしても日本人ほど、蕎麦好きな民族はいないでしょう。ほのかな蕎麦の香りとだしのきいたおつゆ。江戸に戻りますが、当初、蕎麦といえば「そば切り」や「もり」で、あたたかいおつゆをかけて食べる「かけ蕎麦」が出回るようになったのは安永年間(1772年?)頃。当時は上品な食べ物ではないとされていたようで、こんな川柳があります。
ぶっかけがよいと嫁いひかねる (出典『江戸の女たちのグルメ事情』)
良家の子女は食べたいと思いながら、食べられないものだったようです。省略して「かけ」と呼ばれるようになったのは1780年代後半頃。江戸末期になっても、蕎麦は一杯十六文で、廉価で手軽に食べられるものでした。
先日、あったかいおそばが食べたくなって、近所のお蕎麦屋さんで「おかめそば」をいただいてきました。かまぼこや卵焼きの食感の違い、甘く煮付けた椎茸がじゅわっとしみ出る食感が好きなのです。みなさまは今年の新蕎麦、召し上がりましたでしょうか。