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燕

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今年の春、近所にある小さな個人スーパーが建替え工事に入りました。このスーパーマーケットの入り口には毎年にぎやかになる燕の巣があって、ともすると迷い込んだ子燕が店内をぐるぐると飛んで、お客さんの笑いを誘ったりしていたのですが、今年はどうするのか。はるばる海を越えてやってきた燕はがっかりするだろうなと気になっていました。

燕は気温に関係なく、日照時間の長さを感知して渡りを開始するため、年によるずれが少ないといわれています。七十二候でも春の「玄鳥(つばめ)至る」と秋の「玄鳥帰る」が、対になった季節のめやすとして取り入れています。

ところで、燕は毎年、どうやって元の巣へ戻ってくることができるのでしょうか。東南アジアやオーストラリアから数千キロもの飛行を続ける燕たちは、集団ではなく、それぞれに渡りのトキを判断し、一羽ずつ、海面すれすれに飛んでくるのだそうです。想像もつかない数の燕が、単独で、海の上を走るように飛んでいるのですね。渡りの時の平均時速は50?60キロだそうですから、それだけでもかなりのスピードですが、天敵から逃れるときなどは時速200キロという驚異的な翼の持ち主です。まさに、めにもとまらぬ速さ、です。

燕の飛行には、太陽が重要な役割を果たしています。毎年ほぼ同じ季節に飛び立つので、昼間の太陽の位置から自分の目的地の方向を見定め、陸に近づくと見覚えのある山や川の地形を確認しながら、元の巣へ辿り着くのだそうです。つがいの場合も単独行動で、オスが2?3日早く到着し、メスは後から到着します。オスは先に古巣の無事を確認し、メスを待っているというわけです。

元の巣がある場合は1日か2日で素早く修復し、すぐに産卵の準備に入りますが、古巣がなくなったり、他のつがいに占有されていた場合には、オスは必ず巣があった場所の近くでメスの到着を待ち、力を合わせて新たに作り直すことになります。燕の巣作りには、枯れ草と湿った土が必要です。近頃はアスファルトの道路やコンクリートで河川の護岸が固められ、泥や枯れ草も集めにくくなっているため、古巣を補修して使うケースが多いのだそうです。

何度もいうようですが、日本の春は、雨がつきもの。雨が降る度に、草木が喜んでいるかのようです。「穀雨」ともいうように、この雨は順当に苗を育て、燕たちにほどよく湿った泥を提供してもいるのだなあ、と思いながら、春の雨を楽しんでいます。

花楓

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若葉が日毎に勢いを増して、さわさわ、ざわざわ、風にさざめく葉ずれの音がしています。じきに花を咲かせる薔薇の葉や紫陽花の葉がぐんぐんと成長し、山椒の新芽や、小さな手を広げて木漏れ日を作り始めたカエデの若葉に、ついつい目がとまります。カエデはこの若々しい新葉の下に隠れるように、チラチラと小さな赤い花を咲かせています。楓の花は晩春の季語。黄みどりの葉と暗赤色の美しいとり合わせが、やわらかく煙るような春の空間を作っています。緑と赤のコントラストといえばもうひとつ。新緑に覆われた桜の木の下を通ると、おびただしく降った花蕊がじゅうたんのように赤く地面を染めています。花蕊降る、という季語になっているのは、花盛りの季節の中でひっそりと地味ながらも、思いがけない地面の深紅色に人々がハッとし、魅了されてきたからなのでしょう。

山吹や花海棠は花の盛りを過ぎ、白い花が多くなってきました。姫林檎や、小さな鈴のような満天星躑躅(どうだんつつじ)、小手鞠、クリーム色の木香薔薇などが咲いています。街路樹に多くみかけるようになったハナミズキは、大正時代にワシントンに贈った桜の苗木の返礼として渡来したという経緯を持つ、アメリカ山法師。例年より若干早いようですが、初夏の訪れを告げる藤の花、牡丹の花も咲き始めました。百花の王、花王と呼ばれる大輪の牡丹は、さまざまに咲き続けた春の花の最後を飾る大取り。この花が終わると、いよいよ夏の始まりです。

山吹

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葉桜とともに、新緑の若葉が美しい季節になりました。新葉が光さざめき、鳥のさえずりがにぎやかに春の歌を奏でています。今は山吹が、満開です。クレヨンや色鉛筆の名前に登場する「やまぶき」は、日本人とって子供の頃からなじみのある言葉ではないでしょうか。万葉の時代から、山吹はずいぶん愛されていたようです。

春雨や蓑借りに来る人もなし  高月虹器

これは高月家の先祖が、文政期に残した山吹の生花図に記されていた句です。風流な昔の人々は、句歌を題材に、花を活けたりしていたようです。この句を読んで、最初に思い浮かんだのは、「春雨じゃ濡れてまいろう」でした。元々は、大正時代に上演された新国劇『月形半平太』の名台詞。粋な台詞はつい真似したくなるわけで、誰でも一度や二度は、傘を貸しましょうかという申し出に、「いえ、春雨ですから、濡れていきます」などと、言ったりしたことがあるのではないでしょうか。山吹の咲く頃に春雨が降る、という自然の摂理は容易に理解できるのですが、「蓑借りに来る人もなし」にはそれだけではなく、あきらかに以下の平安時代の歌や、太田道灌の故事が下敷きになっています。

七重八重花は咲けども山吹の
        実の(蓑)ひとつだになきぞあやしき 兼明親王

山吹の花は見事な七重や八重に咲くけれども、実がならないのは不思議である。実際、五弁の山吹には実ができるのですが、八重は一重の中央にあるおしべがすべて花びらになっていて、実がつきません。そのことを詠んだこの古歌はかなり広く知られていたようで、実の=蓑、の掛詞となって、蓑といえば山吹、山吹といえば雨、を連想させるものとなり、のちに太田道灌の有名な故事になります。こんなお話です。太田道灌はあるとき、にわか雨に降られ、ある家に立ち寄って蓑を借りたいと申し出ると、その家の女の子が黙って山吹の花を一枝さしだします。それは蓑ひとつない貧しさをさりげなく伝えたものでした。道灌は「花が欲しいのではない」と立腹して立ち去った無教養な我が身を恥じて、のちに歌道に精進するようになった、という説話です。新宿区の面影橋に山吹の里の碑があったり、新宿区山吹町の町名もここからきているようです。こうして蓑といえば山吹を意味したり、山吹が雨に濡れて一層鮮やかにみえる様子や、山吹の枝が揺れる度に露をこぼす風情などを、強く連想させるものになっていったのです。蓑は現代でいえば、傘ということになります。山吹を詠んだ歌は数多いのですが、いくつか紹介します。

山吹の咲きたる野辺のつぼすみれ この春の雨に盛りなりけり 高田大王

春雨のつゆのやどりを吹風に こぼれてにほふ山吹の花 源実朝

実朝の歌は、花が揺れ、玉散る瞬間の映像がみえるかのようです。こんなふうに歌を辿っていくと、「春雨や蓑借りに来る人もなし」という句の背景には、山吹がなくてはならないものであったことがわかります。ところで、芭蕉はこんな句を詠んでいます。

やまぶきの露菜の花のかこち顔なるや 松尾芭蕉

山吹とともに、菜の花も、今、ちょうど満開を迎えています。同じ時期に咲く、黄色の花。なのに雨や露が似合う山吹ばかりが喜ばれて、菜の花はつまらなそうである。この句からも、いかに「山吹と雨」が愛されていたかが、窺い知れます。江戸時代の菜の花は観賞用というよりは、もっぱら菜種をとるための実用的な植物でしたから、珍しがられることはなかったのでしょう。

雨が降ったら、ぜひ露を宿した山吹の風情を楽しんでみてください。

木蓮

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大空に木蓮の花ゆらぐかな虚子

木蓮が咲いています。木蓮は地球上最古の花といわれ、1億年前の恐竜時代から現在と変わらぬ姿で咲いていたといいます。虚子の句のように、木蓮は見上げるような大木になります。花を見ようとすると自然に空をあおぐことになり、いつも空の青さを感じさせる花です。虚子の句を知らない大学生のときに詠んだ私の作です。

大空の雀をつまむ花辛夷茶箱

花言葉は「自然への愛」「持続性」だそうです。おおらかで、気高く、激しい気候変動や環境の変化を生き抜いて、太古と変わらぬ姿で咲くこの花にふさわしい言葉が選ばれています。木蓮は観音様の手印の如く、花先を上に向けてふっくらとひらきます。空に向って、誰かを守り、祈っている手のようにみえます。必ず上を向いて咲く木蓮に対して、花先をあちこちに向けて、はらほれひれはれと、にぎやかに咲いているのは辛夷。木蓮よりひと回り小さく、花のつけ根に小さな緑の葉を一枚つけているのは辛夷です。女の子の髪飾りのようなピンク色のシデコブシ(通称ヒメコブシ)は花びらの枚数が多く、穢れを払う幣の紙垂(しで)に似ているので、この名があります。私は白木蓮より遅く咲く、大ぶりの紫木蓮が好きです。新緑の緑に包まれるようにしてみえる紫が目にしみるように美しく、晩春の豊穣を感じます。

木蓮挿絵

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