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前回は木の兄について書きましたが、花の兄といえば梅になります。木々がようやく芽吹き始めた頃、寒い中に先がけて咲き始める梅は、花のアーキタイプともいうべき端正な五弁花。年を経る毎に風格を増す枝ぶり、上品な香り、すべてにおいてすぐれた花の長兄。梅がなぜ尊ばれるのか、年を重ねるごとに実感が深くなります。

暦の立春をすぎ、梅が咲いた頃にまた雪がふります。白い梅に白い雪がふる。この順序こそが自然の摂理であり、そこに情趣が存在するのでしょう。江戸時代の絵図をみていますと「雪に梅」の構図はじつに多く描かれ、先人の多くがこの風情を好んでいたことがしのばれます。

雪降れば木ごとに花ぞ咲きにける いづれを梅とわきて折らまし 紀友則

花の色は雪にまじりて見えずとも 香をだに匂へ人の知るべく  小野篁

梅が枝にきゐるうぐひす春かけて 鳴けども今だ雪は降りつつ  読み人知らず

いずれも古今和歌集の歌です。白梅に続いて、紅梅も咲き出し、梅が満開になる頃、蕪村の句とともに「おちこち」という言葉をいつも思い出します。「おちこち」は遠近と書きますが、近くに遠くに、あちらこちらに、という意味で、お菓子の名前にもよくつけられています。車窓から眺める景色は遠く眺めるほどに、紅白の梅が雲のように点在し、電車のリズムに合わせて白、紅、白、白、紅、白...と面白いように続きます。いつもの見慣れた風景も、こんなにもたくさんの梅が庭木として植えられ、梅を愛している現代人が多いということに毎年驚きと喜びを感じつつ、北から南まですべからく日本中の大地が、紅白に染められているのだと想像すると、なんともおめでたい気持ちになるのです。

梅遠近南すべく北すべく 蕪村

二もとの梅に遅速を愛すかな  蕪村

旧暦の始まりに再会した鎌倉の友人に、風呂敷をいただきました。型絵染めの伊佐文様研究所が考案した「新芽」というデザインだそうです。そんなわけで今日は、甲と乙について、書いてみたいとおもいます。甲乙丙丁...と続く十干は、世界を構成する五元素、木火土金水をそれぞれ兄(陽)と弟(陰)に分けた呼び名です。

甲(木の兄=きのえ) 乙(木の弟=きのと)丙(火の兄=ひのえ)丁(火の弟=ひのと)戊(土の兄=つちのえ) 己(土の弟=つちのと)庚(金の兄=かのえ)辛(金の弟=かのと)壬(水の兄=みずのえ)癸(水の弟=みずのと)

それぞれの漢字は、自然現象を符号化したものといわれています。春は五行の木部に相当します。命の始まりをあらわし、色はあお(緑)、方角は朝日が昇る東で、時刻は朝です。甲と乙は、甲が木の兄で「きのえ」、乙が木の弟で「きのと」と読みますが、この漢字、よく見てみますと、発芽のかたちなのです。甲は「はじめ」とも読み、種から小さな芽が出始めた状態。乙は土中から出ようとして、頭をぐうっともたげている状態にみえませんか?

冬至の「子」から始まる十二支と、この十干を組み合わせると六十通り。六十年でひと巡りします。還暦の祝いはここから生まれたものです。今年は甲子から始まる六十干支の三十番目、癸巳の年にあたります。

癸は水の弟で、水の年。また種子の大きさが測れるまでになった状態。巳は再生の象徴ともいわれています。新しい流れができる年、と解釈することもできそうです。

立春の日に、都々逸作家の大島歌織さんから、こんな素敵なお賀状をいただきました。

水は流れて野を越えてゆく
             遠いとこまで実らせる  癸巳 立春大吉

水、野、遠、実のところに小さくルビがふってあります。わかりましたか? そうなんです。み、ず、の、と、み。水の弟を、へび(巳)のように滔々と流れていく川に見立てた、見事な言葉あそび。風景まで想像できて、思わず、唸ってしまいました。

甲(きのえ)乙(きのと)

旧暦や節気を伝えるときに、枕言葉のように「暦の上では....」という言葉をよく耳にします。暦の上では○○を迎えましたが、まだ寒いとか暑いとか。せっかく日本古来の時節を伝えながら、それを否定するために使われていることが多いようです。

立春は文字通り、春の気配が感じられる頃。寒いのは当たり前で、立春は寒さのピーク、立秋は暑さのピークを越える頃で、峠を越えた瞬間にふと感じる次の季節の小さな芽生えです。寒さの中に、一瞬のゆるみを感じる、そこに大きな喜びがあります。 

梅は日毎にほころび、木の芽はぐんぐん大きくなっている。その中で、まだ寒い、という方に焦点を合わせてしまうのは、もったいないようにおもいます。「余寒」という季語も、立春を過ぎたから、という決まり事ではなく、峠を越えた安堵や希望が感じられる言葉として、好きな言葉です。

二十四節気が作られたのは古代中国の黄河流域とされています。中国の大陸性気候と、日本の海洋性気候には大きな違いがあり、節気をそのままとりいれた日本には合っていないとする説もあります。たしかに中国の立春にはもっとあたたかい春らしさがあり、日本は春らしいとはいえない寒さの中にあります。

しかしながら日本人はそれゆえにわずかな気配や、かすかな兆しを楽しむ民族になったのではないかとおもえるのです。春はウグイスの初音を、夏はホトトギスの一声を待ち望むことがなければ、和歌や俳句、絵画や文様の世界も大きく変わっていたことでしょう。

海洋性気候の日本はゆっくりと時間をかけて季節が推移していくので、ガラリと変わることはあまりなく、完全に暖かいと感じるのは、晩春になってからになります。それまではずっと、寒さと暖かさの綱引き状態です。お花見の頃に、うっかり遅くまで戸外にいると、風邪を引いてしまうこともあります。

「梅暦」という言葉もあるように、人それぞれに感じる春があります。梅が咲いていることに気づいた瞬間が、その人にとっての春の始まりです。その意味では立春がいつなのかを知らなくても、何かに気づいて、ああ、春がきたんだなとおもう、そういうことだけでいいような気がしています。自然の変化を日々、体感的に感じている人にとって、節気の情報はなるほどと納得したり、確認する材料にはなるかもしれません。

主体的な時間を生きるということは周囲の情報に左右されずに、自分で体感し、判断していくことであろうと思います。今後は地球規模の大きな気候変動が予想されますが、その中にあっても見事に調和し、バランスをとろうとしている地球という巨大な生命システムの一部として、私たち人間もただ生かされている。その小さな粒としての自分を感じることが、地球のリズムとつながるということであり、真の幸福や感謝を感じる原点になっていると私はおもいます。

今回は長くなりましたが、和暦元旦のごあいさつとさせていただきます。

冬の樹木の楽しみは、です。 裸になった寒そうな枝もよくみると、小さな芽がたくさんついています。 実際の芽は秋にできているのですが、休眠させたまま冬を越すため、 冬芽と呼ばれています。 なかでも目立つのは、豪華な毛皮をまとったモクレンの芽。 大きな銀白色の筆先を空に向けて、春を待っています。

寒さの中に、ふとゆるみを感じる頃が立春。 みなさまはいかがでしょうか。 春という季節は、完全に暖かくなる春分を過ぎるまで 寒暖の差が大きく、打ち寄せる波のように少しずつ、 少しずつやってくるように感じます。茶色の皮を脱いで、赤いつぼみを膨らませた梅の木々が 遠目でもわかるほどピンク色に染まり始めました。

しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり 蕪村

梅一輪いちりんほどのあたたかさ  嵐雪

おすすめの本『冬芽ハンドブック』
http://www.amazon.co.jp/冬芽ハンドブック-広沢-毅/dp/4829911743

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