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冬至祭

冬至祭は世界中で見られ、その多くは火の祭りに関係しているようです。キリスト降誕祭が1225日に制定されたのは4世紀頃。かつてこの日は太陽神ミトラの復活を祝う、もっとも重要な祝祭日でした。クリスマスの風習はミトラ教の復活祭だけでなく、古代ローマの農耕神サトゥルナリア祭や、ケルト人やゲルマン人の冬至祭ユールを習合することによって広まったもので、北欧では現在もクリスマスをユールと呼び、ユール・ログと呼ばれる大きな薪を燃やし続けます。この丸太を模したケーキがブッシュ・ド・ノエルです。日本では旧暦の十一月にあたり、火の神を祀るふいご祭や、御火焚、自然の再生を願って魂振りをする霜月神楽が行われています。冬の街を盛んに彩るイルミネーションやキャンドルの灯りも、人間の根源的な意識に働きかける火の存在を思い出させ、「一陽来復」を願う希望の光のように感じられます。

渋川春海と七十二候

七十二候は、十五日ごとに推移する二十四節気をさらに三等分して、ほぼ五日ごとの動植物の変化や自然現象のこまやかな変化を示したものです。「桜始めて開く」「鴻雁北へ帰る」など、日本古来の花鳥風月を知る手がかりとして読むことができます。実際には地域によって異なりますが、季節の風物に気づくきっかけになるものとして見直されています。日本では江戸時代の初期まで中国でつくられた七十二候をそのまま使っていましたが、1685年に施行された貞享暦で、渋川春海らの天文学者が日本の気候風土に合わせて修正したものが本朝七十二候です。その後何度か改訂を重ね、1874年に施行された略本暦の七十二候が知られています。

銀杏

多くの木々が紅葉した後、最後に色づくのが銀杏です。青空によく映える黄色の並木道は冬の風物詩ですが、イチョウ属は2億年前の地上に繁栄し、草食恐竜によって種を拡散させていた裸子植物。恐竜の絶滅とともに消滅し、今日にある種族が唯一の銀杏であることから「生きた化石」と呼ばれています。今日ある銀杏は中国の山中にわずかに生き残った銀杏の実が世界中に広まったもので、人の手によって植栽されたもの。日本には十世頃に渡ってきたと考えられ、樹齢千年と推定される巨木があります。現在、街路樹として植えられている日本の銀杏は57万本、樹種別では最多。欧州には、江戸時代に来日したドイツ人医師ケンペルによって紹介されたため、学名はginkgoとなっています。長くなった西日を受けて眩しいほどに輝やく黄金色の空に、心震えるような感動を覚えます。江戸時代の蒔絵見本帳の中にこの絵を見つけてから、この与謝野晶子の一句がますます好きになりました。

金色の小さき鳥のかたちして 銀杏散るなり夕日の岡に(与謝野晶子)

石蕗の花

景色が枯れ色に変わり、花の少ないこの季節にツヤツヤとした緑の葉と黄色の花のコントラストが、目に沁み入るようです。石蕗(つわぶき)はツヤのある蕗がその名の由来で、つわ、つは、とも読みます。津和野の名は「つわぶきの野」がルーツ。日本原産種で本来のきゃらぶきは、この石蕗の葉柄を佃煮にしたもの。葉には抗菌作用があり、古くから腫れ物や湿疹、火傷の民間薬とされていたようです。
雨ふればふるほどに石蕗の花(山頭火)
いくたびか時雨のあめのかかりたる 石蕗の花もつひに終はりぬ(斎藤茂吉)
石蕗の花は初冬の季語で、時雨とともに詠まれることも多いようです。
静かなる月日の庭や石蕗の花(高浜虚子)
日陰でも育ち、真冬でも青々とした緑の葉を広げるので、玄関や庭先によく植えられています。穏やかな日常を詠んだ句が多い一方、私の大好きな句は、横山白虹のこの一句。寒い日陰に咲く鮮やかな黄色は、どんなに辛いときでも心に灯る明りのようにおもえます。
石蕗の花心の崖に日々ひらく(横山白虹)

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二十四節気と七十二候をその季節
の旬と共に紹介します。

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暦文化振興協会理事長中牧先生に
よる月2回の暦講座です。