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今回は山の日のルーツについて学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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西欧の月暦図に対し日本では四季絵や月次絵(つきなみえ)、さらには四季耕作図とよばれる一群の絵画がさかんに描かれました。時代は平安までさかのぼります。四季絵や月次絵は和歌の風景や景物と結びつき、襖(ふすま)や衝立(ついたて)、あるいは屏風(びょうぶ)を飾っていました。それぞれ春夏秋冬と12ヵ月の自然や風俗を画題とし、(古代)やまと(大和、倭)絵と総称されています。ただし、残念なことに、当時の作品は文献に記されているのみで、実物はまったく残っていません。

しかし、やまと絵の伝統は和歌と同様、着実に後世に引き継がれ、多くの傑作を生みだしました。東京国立博物館所蔵の「月次風俗図屏風」(室町時代・16世紀、重要文化財)はそのひとつです。8曲1隻(せき)の屏風を見ると、右端の第1扇(せん)は正月の羽根突,毬打(まりうち),松囃(まつばやし)[下図参照],第2扇は花見,第3・4扇は田植、第5扇は賀茂競馬と衣更(ころもがえ),第6扇は犬追物(おいもの)と蹴鞠(けまり),第7扇は富士の巻狩(まきがり),そして左端の第8扇は春日社頭の祭と雪遊びとなっています。四季折々の風俗を躍動感あふれる筆致で描写し、登場人物の多さでも見る者を飽きさせません。

他方、「四季耕作図」とよばれる絵画が室町時代の末期から禅宗寺院などの障壁を飾るようになりました。これは中国の耕織(こうしょく)図―耕作と機(はた)織りの図―にもとづく日本のいわば農民風俗画です。そのため中国の風景や農具がモデルになっていて、それをそのまま受け継いだり、あるいは日本風にアレンジしたりと、流派や絵師によって異同があり、また時代や地域の差もあって、さまざまなバリエーションがみられます。しかし、特徴的なことは、耕織図に範をとりながらも、やまと絵の伝統を継承していることです。

稲作の場面は浸種(種もみを浸すこと)からはじまり、犂(すき)による耕起、代掻(しろか)き、苗代への籾蒔き[上図参照]、田植え、草取り、灌漑(かんがい)、稲刈り、脱穀、風選(ふうせん)、籾摺(もみす)りと続き、蔵入れで終わります。粉本(ふんぽん。元本や種本)となった南宋の梁楷(りょうかい)の筆になる耕織図巻は水墨画の巻物です。それを狩野派の絵師は襖や衝立、あるいは屏風にカラフルに描き込んでいきました。かたや文人の与謝蕪村となると、粉本に加え事典の『和漢三才図会』などを参考にしながら「四季耕作図屏風」を洒脱に仕上げました。江戸も後期になると、文人画や町絵師の作品に四季耕作図は好んでとりあげられました。手本となったのは大坂の絵師、橘守国の作である『絵本通宝志』(1729)です。この絵手本は九州から東北まで全国に広がり、絵馬や浮世絵の画材にもなりました。そこには大坂近郊の稲作の1年が微細に描写されていて、地域の民俗誌としても貴重な情報源となっています。ちなみに、わたしの勤務する吹田市立博物館では平成12年(2000)度に「農村の風景―摂津の四季耕作図」という特別展をおこなっています。担当したのは美術ではなく民俗が専門の学芸員でした。

ヨーロッパの月暦図には暦や十二宮が付随していましたが、次第に脱落し、近世の風景画へと変貌していきました。他方、東アジアの四季絵や月次絵、あるいは耕織図にはもともと暦を描き込むことはしませんでしたが、四季折々あるいは月次の情景や風俗を描写することにより、暦と同様の時間・空間を共有する構図になっていました。北半球の温帯では、洋の東西を問わず、四季に彩りを添える絵画が発達し、上流階級の館や宗教施設の障壁を飾っていたのです。

【参考文献】
冷泉為人、河野通明、岩崎竹彦『瑞穂の国・日本―四季耕作図の世界』淡交社、1996年。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。
著書に本コラムの2年分をまとめた『ひろちか先生に学ぶこよみの学校』(つくばね舎,2015)ほか多数。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト