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浮世絵に描かれた伊勢暦―女弁慶と山海愛度図会

今回は浮世絵のルーツについて学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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浮世絵のルーツが大小暦にあることはすでに述べました(第40回)。今回は浮世絵に暦自体が描かれた例を紹介したいと思います。つまり、暦を素材として描き込んだ浮世絵があるということです。といっても、その暦で日にちを知るわけではなく、浮世絵の図柄の一部として暦があしらわれているにすぎません。そのため、かえって、暦の使用法の一端を知ることができるのです。

もっとも有名なのは、すくなくとも暦研究者のあいだでは、一勇斎(歌川)国芳の「縞揃(しまぞろい)女弁慶」です。なぜなら故岡田芳朗先生が主宰していた「暦の会」のホームページをみると、その冒頭を飾っているのがこの美人画だからです。いわば会の「看板娘」の役割を果たしていたと言っても過言ではありません。

暦に見入る美女は弁慶縞(弁慶格子)の着物を着ています。この絵は弁慶にテーマをとった十枚揃いの美人画シリーズの一枚です。それらは弁慶の説話に由来する見立て絵となっているのが特徴です。つまり、歌舞伎の勧進帳がパロディー化され、安宅(あたか)の関で弁慶が白紙の巻物を勧進帳のごとく朗々と読み上げるくだりを模し、勧進帳を伊勢暦に、美女を弁慶に見立てているのです。竹屋直成の狂歌には「としの穽(せい)越しあしたの暦にも勧進帙(帳)を志のふ(偲ぶ)俤(面影)」とあります。なんらかの批判や皮肉が込められているのかどうか、容易にうかがい知ることはできません。

折本の伊勢暦の表紙には天保十五甲辰暦とあり、1844年を示しています。この年には、フランス船が琉球に来て通商を求めたり、オランダ軍艦が長崎に来航して国書を幕府に差し出し、開国を勧めたりしています。蝦夷地では箱館やクナシリに砲台を築き守備兵を配備しています。のんびり暦を見ている場合ではないのかもしれませんが、あしたのことに想いをはせるよすがとして、暦がそれなりの役割を果たしているのかもしれません。

国芳にはもう一点、伊勢暦を見つめる美人画があります。山海愛度図会(さんかいめでたいずえ)の一枚である「よい日をおがみたい」がそれです。嘉永5(1852)年の作ですから、ペリー来航の前年です。国芳はこの年、山海愛度図会を62枚制作し、「おもたい」「乳が呑みたい」「たんと釣りたい」「一寸あいたい」など「~たい」でまとめています。上段の左に「出雲はち密」とあるのは地方の特産品の宣伝ですが、暦と蜂蜜には何の関係もありません。「よい日は甘い」と洒落(しゃれ)ているのでしょうか。ただし、伊勢と出雲の名物を対比しているところは意味深です。

図柄を見ると、お歯黒の既婚女性が眉も引かず、両手を組んで両肘をつき、暦を見つめています。吉日を選んで行動の指針とする風俗が美女に託して描かれていることがわかります。ちなみに、お歯黒をし、眉毛を抜くことは、少女から一人前の女性へのイニシエーション(成女式)を経たことを意味しています。妻として、母として生きるこの女性は、どんな吉日を調べているのでしょうか。

ところで、国芳はこの年、西洋の銅版画の技法を真似て赤穂浪士のシリーズを描こうとしました。しかし、その写実性は庶民の受け入れるところとはならず、ただちに打ち切られました。国芳自身もこの頃から画法に冴えがみられなくなったようです。

浮世絵の膨大な作品のなかにはこのほかにも伊勢暦を描いたものがあるかもしれません。もしそれらが“発見”されれば、また新しい研究領域が広がります。伊勢暦は幕末には200万部も全国に頒布されていましたので、明治改暦前夜の威光にもふれることができるでしょう。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。
著書に本コラムの2年分をまとめた『ひろちか先生に学ぶこよみの学校』(つくばね舎,2015)ほか多数。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト