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1ヶ月分の日めくりカレンダー-反復は力なり

今回は1ヶ月分の日めくりカレンダーについて学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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2003年2月27日、新聞紙上に「最古の暦」の文字が躍りました。明日香村の石神遺跡で出土した木簡(もっかん)が689年の3月と4月の暦を書き写しているというのです。写真を見ると木簡とはいっても細長い木に文字を書きつけたものではなく、丸い蓋(ふた)のようなものに具注暦(ぐちゅうれき)が記されていました。しかも真ん中に穴が開いています。もともと長方形の板の表裏両面に暦が書かれ、壁などに懸けていたものが、用済みになった後、丸く削られ、蓋か何かに転用されたと考えられています。

具注暦というのは「注を具(そな)えた暦」という意味で、その日の吉凶を書き記しています。注の中身は干支(えと)、十二直(じゅうにちょく)、ならびに暦注です。干支は言うまでもなく甲子(きのえね)からはじまり癸亥(みずのとい)でおわる60通りの循環です。十二直はひと文字の漢字で表現され、建(たつ)・除(のぞく)・満(みつ)・平(たいら)・定(さだん)・執(とる)・破(やぶる)・危(あやぶ)・成(なる)・納(おさん)・開(ひらく)・閉(とづ)の順で並びます。3月の木簡のほうは執(祭祀に吉、金銭の出入りは凶)から開(結婚などに吉、葬式には凶)まで、4月のほうは満(事を起こすのは吉、動土は凶)から成(開店は吉、訴訟は凶)まで判別できます。最後に暦注が来ますが、それには帰忌(きこ、この日の帰宅は凶。遠くに行く、婦人を娶るのは大凶)、天倉(てんそう、蔵開きに吉)、往亡(おうもう、旅行に凶)などの文字を読み取ることができます。注目すべきは4月13日で、文字はさだかではありませんが、すべてに凶である九坎(くかん)の日にあたり、皇太子の草壁皇子(くさかべのみこ)が亡くなっています。

草壁皇子の死にともない、母親の持統天皇が即位し、翌690年に元嘉暦(げんかれき)と儀鳳暦(ぎほうれき)を正式に採用することになりました。したがって、この木簡はそれ以前にも中国の太陰太陽暦がつかわれていたことを証明する資料でもあります。

ちなみに、この木簡の暦日は元嘉暦にもとづく貴重なものです。また、十二直の破を皮、執を丸と「つくり」で表記しているだけでなく、「絶紀」「天李」など他の暦には見られない暦注もあります。

それまで、現存する最古の暦は浜松市城山遺跡出土の木簡(729年)でした。また、木簡の断片に年紀を記したものでは難波宮跡から出土した戊申(つちのえさる)年(648)が最古とされています。荷札の年紀でもっとも古いものは美濃国の出土品で乙丑(きのとうし)年(665)です。

太刀に年紀を彫ったもので最古の例は東大寺古墳の「中平□年五月丙午」があげられます。中平は後漢の年号(184~189)です。中国製の刀が伝来し、4世紀の古墳に副葬されたものです。また、有名な石上(いそのかみ)神宮の七支刀(しちしとう)は百済伝来のものですが、年紀の泰和4年は東晋の太和4年(369)とする説が有力です。埼玉県行田市の稲荷山古墳の鉄剣には「辛亥年七月中記」とあり、出土した須恵器の年代から西暦471年と考えられています。

紙に書いた文字を漆で保護した漆紙文書にも具注暦が発見されるようになりました。1977年、仙台市郊外の多賀城跡からはじめて出土し、1981年には岩手県奥州市の胆沢(いさわ)城跡からも発掘されました。前者は宝亀11年(780)の具注暦の断簡(だんかん、文書の切れはし)、後者は延暦22年(803)と23年(804)のそれです。

このように日本における暦のはじまりは『日本書紀』の記述や正倉院御物(ぎょぶつ)の文書以外にも考古学の発掘によって明らかにされることが少なくないのです。

【参考文献】
岡田芳朗『暦ものがたり』角川ソフィア文庫、2012年。
『キトラ―古墳と天の科学』飛鳥資料館、2015年。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト