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210日と220日-野分の時節

今回は薮入りについて学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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このところ台風や竜巻にやられる被害がつづいています。210日にあたる9月1日には台風の通過にともない対馬沖で竜巻が発生したらしく、何隻もの漁船が転覆しました。7日には竜巻が千葉市内を真夜中に襲撃しました。220日頃には台風がまた日本列島にやってきます。

210日や220日はいわゆる雑節のひとつで、八十八夜がそうであるように、立春からかぞえて210日あるいは220日という意味です。グレゴリオ暦ではそれぞれ9月1日、9月11日頃にあたります。ちょうどその頃、台風や嵐に見舞われ、稲作などに甚大な被害が及ぶことから、暦注に採用されたとかんがえられています。頒暦に載ったのは明暦2(1656)年の伊勢暦が最初といわれています。

日本人の手による初の暦である貞享暦では当初、この暦注を記載しませんでした。すると伊勢の国の船長が奉行所に訴え出て、復活を求めたのです。その言い分は、「八十八夜を過ぎて天気始めて温、海路和融す。二百十日前後、必ず大風有り」というもので、「暦は民用に便なるを以て先となす」と主張しました。こうして、渋川春海は貞享3年(1868)の暦には八十八夜や210日を記載することになったのです。ちなみに、八十八夜や210日は日本独自の暦注なので、中国や韓国の暦には載っていません。

210日のころ吹く風のことを野分(のわき、のわけ)と言います。台風の古称でもあり、『源氏物語』第28帖の題名でもあります。近代の小説では夏目漱石の『二百十日』があり、宮沢賢治の『風の又三郎』では9月1日に転校してきた謎の少年のあだ名になっています。「風の又三郎」は風の神の子、あるいは風の精ともいうべき存在です。

風の神といえば俵屋宗達画の風神雷神図屏風をおもいだす人が少なくないかもしれません。今秋の京都国立博物館の展示「琳派 京(みやこ)を彩る」には国宝であるその風神雷神がお目見えするそうです。風の袋を両手でつかむ躍動感ある風神の雄姿は多くの人を魅了することでしょう。

気象学的に210日や220日をとりあげて台風と関連づけても文化的にはあまり意味はありません。江戸時代にもすでに210日にかぎって風が吹くわけではないとの主張がみられ、だいたいの頃合いとしてわきまえていたようです。それよりも、文学作品や芸術品のなかでどうあつかわれてきたか、また同時に、宗教的あるいは民俗的に風神はどう表象され、人びとがそれにどのように対峙してきたかに興味をそそられます。

飛鳥時代、天武天皇は風神の祭祀を龍田でおこないました。龍田神社はいまでも風神祭で有名ですが、そこは大和と河内をつなぐ山越えの要衝でもあります。つまり、尾根の低いところが風と人の通り道ということになります。風神祭は神祇令の規定により孟夏(旧暦4月)と孟秋(旧暦7月)におこなわれ、祝詞では悪しき風と荒き水にあわないようにとの祈願が込められていました。大和盆地の稲作に害を与えかねない野分を鎮める意味があったと解釈されます。

いっぽう、民俗行事としては富山市八尾(やつお)の「おわら風の盆」が有名です。毎年9月1日から3日かけておこなわれ、踊り手たちが練り歩く町流しに多数の観光客が押しかけます。越中おわら節の一節に「二百十日に 風さえ吹かにゃ 早稲の米喰うて オワラ 踊ります」というのがあります。ちなみに「あなた百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の オワラ 生えるまで」という歌詞もよく知られています。

210日のような雑節は日本独特の文化が感じられる節目なのです。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト