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アメリカ先住民の「ホライズン・カレンダー」

今回はバレンタインデーについて学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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2月14日のバレンタインデーは女性から意中の男性にチョコレートを贈る日とされ、日本でも1970年代からデパート商戦に乗って人気をよぶようになりました。1980年代になると「義理チョコ」が爆発的にはやり、お返しの「ホワイトデー」が名実ともに定着しました。「義理チョコ」も「ホワイトデー」も日本で生まれた新しい習俗であり、伝統文化の再編と解釈することもできます。

バレンタインデーはキリスト教の聖人であるバレンタインが殉教した日です。しかし、どのバレンタインかについては諸説あって、もっとも有力なのは3世紀のローマで、徴兵逃れのための結婚を禁止する皇帝の命令に背き、隠密裏に教会で結婚式を執り行った聖職者のことであるとされています。かれは投石の後に首をはねられ処刑されましたが、後に肉欲の愛ではなくキリストの愛を体現する聖者として列聖されました。中世には飢餓(きが)や旱魃(かんばつ)の際に祈りをささげる対象となり、恋のメッセンジャーとして大変身を遂げるのは14世紀末のことでした。というのも、獄中のバレンタインは看守の娘と恋に落ち、別れ際に「あなたのバレンタインより」と書いた永別の手紙を贈ったとされているからです。

エリザベス朝の時代、この日に限って、最初に外で出会った男性が自分のバレンタインになるとされ、たがいの名前を書きつけた紙片を交換しあったそうです。占いもさかんで、そのひとつに鳥を観察する方法がありました。最初に目にする鳥がブラックバードであれば、黒い僧衣をまとった聖職者と、コマドリなら水夫と、ルリツグミなら貧しい男性と、イスカであれば口うるさい男性と結ばれるとされていました。ウグイスならば裕福な伴侶にめぐまれ、アリスイを見たら縁遠くなるとも言われていました。野では鳥たちも活発に行動しはじめる時節だったのです。

古代ローマでは2月14日は青年の男性が愛の相手をくじ引きで決める日でした。翌日はルぺルカリアの祭りです。女神ルペルカルはローマ建国の双子の兄弟、ロムスとレムスを母乳で育てたオオカミのことです。若者たちは犠牲に供されたヤギの皮を腰に巻き、ルペルカルの洞窟のまわりを大声で笑いながら走り、若い女性に出会えばヤギの皮ひもで彼女たちを打ったのです。それは不妊を治療し、出産をうながすおまじないでした。日本の小正月行事にみられる「嫁叩き棒」と似たような発想です。こちらは嫁(とつ)いだばかりのお嫁さんのお尻を子どもが叩くのですが、棒の形はペニスを象徴するものでした。

洋の東西を問わず、春の訪れは繁殖力や生命力の復活を促進する行事をともなっていました。聖バレンタインもいつしかその列に加えられ、恋人たちの仲を取り持つようになったのです。最初は故事にならい、あるいは故事を創作して、手紙が意思疎通の手段とされました。それが19世紀のアメリカでバレンタインカードとなり、大流行しました。ハート形の箱に詰め込んだチョコレートは19世紀末のアメリカに登場し、1930年代になるとバレンタインデーはクリスマスに次ぐ売上高をほこるようになりました。ただし、日本とはちがい、チョコレートに特化することはありませんでした。

バレンタインデーは中国では情人節として祝われています。恋人節と言うこともありますが、カレンダーにはふつう情人節と記載されています。中国語で情人とは恋人のことです。情事の相手ではありません。また、日本やアメリカとちがい、男性から女性に贈り物をするのが一般的です。チョコレートの一人勝ちも許されていません。

いずれにしろ、もし聖バレンタインが日本にやってきたら、チョコレートやマシュマロに目を白黒するにちがいありません。

【参考文献】
アンソニー・F・アヴェニ(勝貴子訳)『ヨーロッパ祝祭日の謎を解く』創元社、2006。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト