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第27回『東大寺の修二会―別名、お水取り』
こよみの博士ひろちか先生
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修二会(しゅにえ)とは2月に修する法会のことです。正月の場合は修正会(しゅしょうえ)といいます。正月や2月の法会はほんらい旧暦で修していましたが、修二会は現在、月遅れで3月1日から14日までおこなわれます。場所も二月堂です。ちなみに、東大寺には三月堂もあります。こちらは法華堂の別称です。

さて、2週間にわたる修二会にはさまざまな特徴がみられます。まず、練行衆(れんぎょうしゅう)とよばれる11名の僧侶が別火生活にはいります。別火とはケガレをさけるために火打ち石で新たに火をおこし、食事を別にすることを意味します。練行衆は堂にこもって、一般人との接触を断ち、修法に専念します。仏教的な意味づけでは、練行衆は代苦、つまり一般人に代わって苦をひきうける行に没頭するのです。一般人の側からすれば、頼んでもいないのに、なぜそんなことをするのか不思議に思われるかもしれません。

修二会は二月堂の本尊である十一面観音にたいする悔過(けか)、つまり過ちを悔いる法要です。自分と衆生の罪や過失を懺悔(ざんげ)し、観音の慈悲を請い、国家の鎮護と安泰を祈願する行法なのです。奈良時代にはじまった国家鎮護の儀礼は連綿として今日まで続いています。「不退の行法」といわれ、一度も欠かすことはありませんでした。戦時中でも、災害時でも、かならず実施しなくてはならないほど、重要なものなのです。

わたしも二月堂の内陣で「お水取り」の晩に行法を拝観したことがあります。内陣は外陣とは異なり、静かに坐って一部始終を見ることができるのですが、実際に行法を目の当たりにする場面は深夜のわずかな時間だけで、あとは全国の神々を勧請する声が聞こえるだけでした。ずいぶんと退屈な時間を過ごした記憶だけがのこっています。

しかし、「お水取り」の起源はこの神々の勧請と深い関係にあります。というのも、伝承によれば、最初の悔過のとき、若狭の国の遠敷(おにう)明神だけが遠敷川で魚をとっていたため勧請に遅れてしまったからです。その責任をとって遠敷明神が遠敷川から東大寺に水を送ると言ったところ、二月堂の井戸から黒と白の鵜(う)が飛び立ち、霊水が湧き出たということです。その井戸は若狭井戸とよばれ、霊水は「香水(こうずい)」として須弥壇下の香水壺に保管され、仏に供えるならわしとなっています。

お水取りといえば松明(たいまつ)も人気があります。欄干にさしかけられる籠松明のかがり火や、練行衆が参詣者に火の粉を浴びせかける松明が有名です。しかし、もっとも美しいのは30個ほどの削りかけの花をとりつけた達陀(だったん)の松明です。国立民族学博物館ではずっとそれを展示していましたが、いまは収蔵庫に戻っています。達陀の行法はお水取りの直後におこなわれ、火天が達陀松明をもち、酒水器をもつ水天と対峙します。松明は火天にひきずられて内陣をめぐり、床は火の海と化すそうです。そこまで見届けることなく二月堂を後にしてしまったことが、今となっては悔やまれます。

お水取りは火と水の儀礼です。松明と香水、あるいは火天と水天のパフォーマンスがそれを象徴しています。奈良、ひいてはひろく関西では、お水取りが終わって本格的な春が来るといわれています。春分はすぐそこです。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト