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秋分から1年が始まるフランス革命暦

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉
教授。吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営
人類学。

1年の始まりが秋分!?

暦法をOSにたとえるとフランス革命暦はウィンドウズからマッキントッシュに乗り換える以上に革命的な変換でした。

フランス革命暦は秋分を新年の開始としています。パリにおいて太陽が秋分点を通過した日から、あたらしい1年がはじまるのです。革命暦=共和暦はグレゴリオ暦に代わるものでしたが、実際に採用されたのはグレゴリオ暦に換算すると17931124日でした。共和国第1年の元日は、さかのぼってグレゴリオ暦換算の1792922日とさだめられました。秋分の翌日で、王制廃止を宣言した次の日でもあったからです。そしてナポレオンによって廃止されたのが、グレゴリオ暦換算の18051231日でした。わずか12年あまりの短命におわった、挫折した暦法です。

暦も一新 フランス革命暦

フランス革命は1789714日のバスティーユ監獄の襲撃に端を発しています。アンシャン・レジームとよばれる旧体制を打破しようとした革命政府は王侯貴族やカトリック教会を排斥しました。当然グレゴリオ暦も槍玉にあげられ、暦法の上でも革命的なこよみを実践したのです。それは宗教にとって代わる近代科学にもとづいたものでした。

まず時刻の60進法を10進法としました。1日は10時間、1時間は100分、1分は100秒となりました。17日も廃止し、1ヵ月を3旬(デカード)に分け、10日、20日、30日を休日としました。そして30日を1ヵ月とする月を12ヵ月おき、余日を5日くわえて、1年365日としたのです。年末の余日はサンキュロットの日とよばれ、休日にさだめられました。貴族のはくキュロットズボンをはかない市民階級の日という意味です。余日は順に美徳、才能、労働、言論、報酬の祝日と命名され、4年に一度の閏日は革命の祝日とよばれました。古代エジプトの太陽暦が復活した格好となっています。つまり、30日の月が12回に年末の5日をくわえた暦法です。ちなみに、この暦法はいまでもコプト暦やエチオピア暦で使用されています。

こだわりのつまった暦

旬の曜日はprimidi - 一曜日、duodi - 二曜日、tridi - 三曜日、décadi - 十曜日のように序数がつかわれました。ところが月には詩的な名称がつけられました。しかも3ヵ月ごとに韻を踏んでいるのです。詩人ファーブル・デグランティーヌの創案によるもので、秋は –aire、冬は -ôse、春は-al、夏は -idor という具合になっています。
第1月 ヴァンデミエール(ブドウの月)
第2月 ブリュメール(霧の月)
第3月 フリメール(霜の月)
第4月 ニヴォーズ(雪の月)
第5月 プルヴィオーズ(雨の月)
第6月 ヴァントーズ(風の月)
第7月 ジェルミナール(芽の月)
第8月 フロレアル(花の月)
第9月 プレリアル(草の月)
10月 メスィドール(収穫の月)
11月 テルミドール(灼熱の月)
12月 フリュクティドール(果実の月)
グレゴリオ暦では毎日聖人名がついていますが、それに代えて日ごとの植物を配しました。たとえばヴァンデミエール(第1月ブドウの月)の1日はブドウ、2日はサフラン、3日はクリです。ただし、五曜日は家畜、十曜日は農耕具の名前が付けられました。ヴァンデミエールの場合、5日はウマ、10日は桶です。ここまで徹底してグレゴリオ暦に対抗したのです。

 

暦の革命成らず

しかし、フランス革命暦は性急だったため、十進法の時計が間に合いませんでした。またパリの秋分を起点としていたため、他のヨーロッパ諸国との整合性をとるためには暦日対照表を必要としていました。月名にしても北フランスの気候を基準としていたので、他の地方では季節感が合いませんでした。そんなこんなでナポレオンの登場により王政復古がなされ、帝政暦とよばれるグレゴリオ暦が1806年から再起動したのです。その間は、表にはでない陰にひそんだスリープ状態だったのです。