花鳥風月とこよみのテーマを4回続けてきましたが、しめくくりは真打ちの花暦です。花暦の定義は「花の咲く時期を四季の順に配し、各条の下にそれぞれの花の名所を掲げたもの」(広辞苑)とあります。カレンダーと花を組み合わせた、フラワー・カレンダーとよばれるものもあります。
花暦のルーツは中国の清代初期にあります。12ヵ月に特別な花を配する狭義の花暦は,清代に翁長祚(おうちようさく)の『花暦百詠』や陳淏子(ちんこうし)の『秘伝花鏡』などによって世に流布したそうです(『平凡社大百科事典』)。『秘伝花鏡』の中編「花暦」の項には、主として開花や天候にあわせた農作業の取り組み時期が指示されています(『日本大百科全書』)。それをうけて、日本でも『会津農書』(1684)のように指標植物の開花による作業指示が記載されている花暦があります(同上)。これは花の開花にもとづく自然暦=農事暦といえます。
江戸では花暦は美術や盛り花に利用される一方、俳諧の季語に広く取り入れられていきました。たとえば「東都花暦十景」(渓斎英泉)と銘打った錦絵があり、そのなかに「上野清水之桜」や「小金井之桜」があります。「花の名所」を描いたもので、暦は付いていませんが、季節感を表現しています。しかし、十景のなかの「木場ノ魚釣」や「佃沖ノ白魚取」には、花暦と称しても花はありません。魚釣りや白魚取りの「名所」のみです。花だけで東都十景を構成するのがむずかしかったのかもしれません。
江戸期の花札による花暦は松(正月)、梅(2月)、桜(3月)、藤(4月)、菖蒲(5月)、牡丹(6月)、萩(7月)、薄(すすき、8月)、菊(9月)、紅葉(もみじ、10月)、柳(11月)、桐(12月)でした。もちろん旧暦に対応していますから、薄は中秋の8月であり、「菊の節句」と称される重陽(9月9日)の月には菊が配されていました。ちなみに、中国・清代の花暦では梅(1月)、桃(2月)、牡丹(3月)、桜(4月)、木蓮(5月)、石榴(ざくろ、6月)、睡蓮(7月)、梨(8月)、葵(9月)、菊(10月)、山梔子(くちなし、11月)、芥子(けし、12月)でした。
現代の花暦をネットで検索してみたところ、地域と季節によって多様性がみられることがわかりました。まず京都の花暦では、12月から3月にかけて種類がもっとも少なく(6~7種)、意外にも7月と8月(それぞれ7種)がそれに対応していました。一方、4月(11種)と5月(12種)が花の時期であるのは当然としても、10月(12種)がそれに匹敵しているのも驚きでした。さすが京都だとおもったのは、主な名所が4月の桜なら15ヵ所、秋の紅葉なら12ヵ所もあげられていること、ならびに紫式部という名の花があり、ゆかりの廬山寺や平安神宮に行けば楽しめるということでした。
北海道のフラワー・カレンダーには11月から3月までは花が不在であり、5月の桜から10月の紅葉までの半年が凝縮された見ごろになっています。他方、沖縄ではハイビスカスやブーゲンビリアが代表的な花であるにもかかわらず、通年で咲いているため、花暦になりにくい事情が介在していました。とはいえ、沖縄よりさらに南国のタイにも花暦に近い世界があることを力説した本があります。タイ人と結婚し、タイ名もつ日本人女性が出版した『タイの花鳥風月』です。それによると、タイの季節は暑季(ルドゥー・ローン)と雨季(ルドゥー・ツォン)と寒季(ルドゥー・ナオ)に分かれ、三つの季節のうつろいを知るのは庭に咲く花、訪れる鳥の声、変わる風向きだそうです。タイ桜とよばれるターベーブーヤー(和名:ノウゼンカツラ)は寒季の1月から暑季の4月末まで、ソメイヨシノに似た淡いピンク色の花を何回も咲かせるそうです。
タイ桜で思いだしたのはブラジル桜です。パイネイラという木ですが、2月頃ピンクの花をつけ、日系人には故郷を想起するよすがとなっていました。パイネイラはブラジルの俳壇では季語となっています。
故里の桜花と似たりパイネイラ (サンパウロ 松井明子)
【参考文献】
荒俣宏「花暦」『平凡社大百科事典』11巻、平凡社。
レヌカー・ムシカシントーン『タイの花鳥風月』めこん、1988年。
日本カレンダー暦文化振興協会 理事長
中牧 弘允
国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。