フリーメイソンとは字義通りに訳せば「自由な石工」という意味です。しかし、実際には石工職人ではありません。それは一種の秘密結社です。外部には容易には知られない儀式をおこなっていますが、ロッジと呼ばれる建物を有し、慈善活動にも取り組んでいます。一方で閉鎖的で秘密主義を貫いていますが、他方では目に見える部分もあるのです。
フリーメイソンがこの世に登場したのは18世紀のイギリスです。確かなところでは、1717年6月24日にロンドンにある4つのロッジがとある居酒屋に集まり、グランド・ロッジを結成したことをもって嚆矢(こうし)としています。フリーメイソンのロッジは当時盛んだったクラブの一種であり、共通の趣味や関心をもつ男性が社交・娯楽・飲食を目的として集まる団体の一つでした。6月24日が選ばれたのは、「聖ヨハネの日」だったからです。聖ヨハネの福音書は、その冒頭に「はじめに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」と記しています。続いて「この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている」とあり、「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。」とキリストの到来を暗示しています。
グランド・ロッジは1721年には憲章作成の作業に着手し、1723年に「歴史」「責務」「通則」などからなる『フリーメイソン憲章』が出版されました。そこでは天地創造を紀元とする紀年法も併用され、メイソン暦の5723年と印字されています。つまり、西暦年に4000年をプラスすることで、A. L. (Anno Lucis=光の年) が求められるのです。「創世記」の冒頭に「はじめに神は天と地とを創造された。・・・神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」というくだりに依拠して、A. D. (Anno Domini=主の年) とは別に採用されています。
ちなみに、天地創造を紀元とする紀年法はユダヤ暦でも使われています。それは紀元前3761年10月7日を紀元とする太陰太陽暦で、閏月の挿入は19年に7回の頻度(メトン周期)でおこなわれています。また、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)では988年から1453年の帝国滅亡まで、紀元前5509~5508年を暦元としていました。世界創造紀元のいわゆるビザンチン暦です。
フリーメイソン暦は『ベートーヴェンの日記』に2度でてきます。最初は1816年の初頭に書かれたもので、「私たちの世界の歴史は、5816年になる。」とあります。二度目はその2年後に記され、「この惑星での私たちの意識は、5818年を数える」とみえます。ベートーヴェンがフリーメイソンだったかどうかについては確たる証拠はありませんが、その思想的影響を受けていたことはまちがいありません。
他方、18世紀に活躍したオーストリアの音楽家モーツアルトはれっきとしたフリーメイソンでした。オペラ「魔笛」はその傑作とみなされています。たとえば、フリーメイソンへの参入儀礼のときには、目隠しをされ、扉が3度叩かれるのを待つという場面があり、序曲ではそれを想起させる音型が使われているそうです。また、「邪悪な悪魔」ザラストロと僧侶たちとの「問答」もフリーメイソンの参入儀礼そのものであると言われています。さらに、オペラの主題が「人間が神に等しい者」となるという点でもフリーメイソンの思想と符合するようです。
アメリカの初代大統領ワシントンも有名なフリーメイソンです。1793年9月18日、連邦議会議事堂の礎石を据えるとき、かれはラファイエット将軍夫人手作りのメイソンのエプロンをつけて式典に臨みました。当時の新聞によると、礎石には「アメリカ独立第13年、ジョージ・ワシントン大統領の第2期第1年」、さらに「メイソン年の5793」と記した銀のプレートが置かれました。ワシントンD. C.に近接するメリーランド州とヴァージニア州のグランド・ロッジの代表者たちも正装して多数参列しました。
なお1991年、この礎石を探索すべく発掘調査がおこなわれましたが、見つかりませんでした。
【参考文献】
メイナード・ソロモン編(青木やよひ・久松重光訳)2001『ベートーヴェンの日記』岩波書店。
吉村正和 1989 『フリーメイソン――西欧神秘主義の変容』講談社。