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今回は山の日のルーツについて学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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七夕は星が綺麗に見える?

旬という言葉には新鮮な響きがあります。「今が旬」という慣用表現がその代表でしょう。「旬の魚」「旬の野菜」とも言います。転じて、物事をおこなうのに適した時期のことも指します。

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こよみの用法では上旬・中旬・下旬という10日のサイクルを意味します。初旬という言いかたもあります。旬という漢字は日を包むと書き、ひとまとまりの日をあらわしています。英語にもdecade(ディケイド)という単語があり、10年を単位とする数え方が存在します。他方、フランス革命暦のひと月は30日で、週を廃止し、10日よりなる3つのdécade(デカド)を置いていました。

日本では律令時代、毎月の1日、11日、21日と16日に天皇が紫宸殿(ししんでん)に出御して政務をみるとともに、集まった臣下とともに宴をもよおす行事がおこなわれていました。政務のほうは旬政、宴のほうは旬宴とよばれましたが、一括して旬儀と称することもあります。旬儀の次第はおよそ次のとおりです。

七夕の由来

① 御鎰奏(ごいっそう)、②官奏、③番奏、④庭立奏(にわだちのそう)とつづき、⑤饗宴となりました。御鎰奏とは諸司から天皇に上奏する政務儀礼です。官奏とは大臣が天皇に奉文を上奏する儀です。番奏は六衛府が上番者の名簿を毎月1日に、下番者のそれを毎月16日に天皇に奏上する儀です。庭立奏は少納言が天皇に内印の捺印(なついん)を請う儀式です。

イラスト2

暦に関する儀としては毎年11月1日に陰陽寮から天皇に翌年の暦が奏上されました。これを御暦奏(ごりゃくそう)と称します。その11月1日が冬至にあたる朔旦冬至(さくたんとうじ)の場合は、朔旦旬という臨時の旬儀がおこなわれました。また季節に関するものとして、夏には天皇から臣下に扇が与えられ、冬には氷魚が下賜されました。

旬儀の参加者は皇太子・親王・公卿を含む侍従・次侍従といった範囲でした。弘仁11(820)年以降、皇太子は毎月6回、5日毎に内裏に参入するという制度(皇太子5日常朝制)がはじまり、1日、11日、16日、21日が旬儀と重なるようになりました。親王・侍従も毎月定期的に天皇に謁見(えっけん)し饗宴にあずかるようになりました。それが月4回の旬儀でした。

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各国の七夕

通説では、ほんらい天皇が毎日おこなっていた政務が簡略化し、月4回の旬儀となり、さらに年2回の二孟旬―4月1日の孟夏旬と10月1日の孟冬旬―になったとする見解がとられています。それに異をとなえた吉田歓氏によると、皇太子5日常朝制は漢代には成立していた中国の制度の直輸入であり、旬儀の際に饗宴だけでなく賜禄がおこなわれ、俸禄の定期的な支給に意義があったとしています。つまり、天皇による毎日の政務儀礼と皇太子や侍従らの定期的な入朝が組み合わさって月4回の旬儀が成立したとみているのです。

宮中の旬儀を中国伝来の文化とみる立場に対し、旬のシステムこそ日本の暦の原型ではなかったかとする主張があります。建築学が専門で縄文学にも造詣の深い上田篤氏は、天皇の役割は「日(か)読み」にあり、山の稜線に昇る太陽を観察し、冬至と夏至のあいだが約182日であることを知り、それを18旬としたことにあると説いています。もちろん冬至から冬至のあいだとなると36旬になります。奈良盆地の三輪山から昇る太陽を観測する日祀部(ひまつりべ)を設け、冬至の日を定めて旬にもとづく暦をつくったのが天皇だというわけです。しかも、それは天皇以前の弥生時代からすでにおこなわれていたと推測しています。その理由として、田原本の天照御魂神社と他田(おさだ)の他田坐(おさだにます)天照御魂神社と三輪山山頂とが一直線に並んでいて、三輪山に昇る冬至の太陽を見ることのできるラインとなっていると指摘しています。さらに、旬を知り、さまざまな魚介類や動植物を食べていた縄文人にまでさかのぼりうるとも示唆しています。

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旬のルーツは容易に決着のつく問題ではありませんが、歴史学や考古学の枠を越えて取り組むべき課題かもしれません。

【参考文献】
上田篤『私たちの体にアマテラスの血が流れている』宮帯出版社、2017年、20-29頁。
吉田歓「旬儀の成立と変質」大阪歴史学会編『ヒストリア』152号、1996年、81-105頁。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト